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このインタビューはタイの古都、チェンマイで行われた。
AKB48からタイ・バンコクのAKB48グループ、BNK48に電撃移籍。コロナ禍直前の2019年には、タイ第二のAKB48グループ、CGM48が誕生し、再びの移籍。しかも何とメンバーでありながら支配人という運営側に近いポジションで、チェンマイへ移ったイズリナこと伊豆田莉奈さん。
コロナ禍も入れると、大変な苦労をしてきたのではないだろうか?
そんな予想を裏切りチェンマイのおしゃれスポット、ニマンヘミンに現れた彼女は、ふんわりと、包み込むような笑顔だった。
タイランドハイパーリンクスでは過去に代々木公園で毎年行われてきた「タイフェスティバル」でBNK48のメンバーのひとりとして、イズリナをインタビューしてきた。BNK48の持ち時間は短く、他のメンバーを立てる気質のイズリナから長々と話を聞くことは難しかったものの「実はこのメンバーの中で、日本人女性として思い切ってタイに移住した彼女ほど、話を聞いてみたいと思われている人はいないのではないか?」と思う節があった。
また、筆者はタイに移住したものの、タイに住むことが自分の仕事のプラスになるのだろうか?と言う疑問から帰国。それでも何度か「あの時、移住していたらどうなっていたのだろう?」という思いにとらわれることも少なくなかった。
タイに移ることで成功を手に入れたように思う人は、住むことを諦めた人と何が違うのか?
タイに住む、と思い切った瞬間、そして、タイで成功した瞬間、そして古都チェンマイで新たな生活をはじめた瞬間…彼女の中にはどんな思いがあり、そうなるまでにはどんな経緯があったのだろうか?
そしてタイに魅せられたきっかけは?
聞きたいことだらけだった。そんな思いが通じ、2022年8月、チェンマイで彼女だけに話を聞く機会に恵まれた。
堰を切ったように出てくる彼女の話の中には、あまり語らなかった、というレアな話も。
CGM48発足時からメンバー兼支配人として、グループをけん引してきたリアルな話や、コロナ禍の苦労話も…。
北タイで1組のアイドルを作り上げたと言ってもいい、伊豆田莉奈とは?
AKB48グループのファンの方も、タイに移住したいと考えている人も、すでにタイに住んでいる人も、ぜひ読んでいただきたい。
CGM48デビュー曲「Chiang Mai 106」
--これまで2回、BNK48のメンバーとしてイズリナさんにもお話をうかがってきました。
そうですよね!
--でもBNK48のインタビュー時間はとても短くて、毎回全員にお話を聞かなければいけなくて、イズリナさんにはほとんど挨拶程度のお話しか伺えなかったんですよね。でも日本側とすると、タイのメンバーへの興味はあるものの、日本のAKB48からタイに移った女性として興味のある人も多いと思うんです。3,4年前からタイランドハイパーリンクス内でもイズリナさんに一度じっくり話を聞いてみたいっていう話はしていたんですよね。
えーっ!うれしいです!私もいつもTwitterでチェックしてますよ。一番情報が得られるので。
--拡散までしていただいてありがとうございます。今日はよろしくお願いします。
--「TOKYO IDOL FESTIVAL 2022」に出演なさったんですよね?
BNK48 とCGM48のミックス6人で行ってきました。
--なかなかレアな組み合わせですよね。
そうですね。コロナ禍以前は「TOKYO IDOL FESTIVAL」はBNK48で6人の参加っていうことがあったんですけど、今回は「AKB48グループ・アジアフェスティバル」っていう別の企画もあったんです。今回はコロナ禍でオンラインになってしまったんですが、毎年やっているものではあるんですけどね。今回、TikTokの特別企画があったんです。
ダンス部門、歌部門、料理部門といろいろあったんですが、1位になると自分の好きなグループのメンバ―に会えたり、一緒にステージに立てる企画なんです。
--えー!面白い・・・!
私以外のメンバーは各部門で1位を取ったメンバーで5人中、4人はBNK、1人はCGMだったんです。
そのメンバーが東京に行く上に、「TOKYO IDOL FESTIVAL」の仕事もあり。
私は通訳もできるし、AKB48とタイの5人のメンバーとのからみのお手伝いもあるというのと、「TOKYO IDOL FESTIVAL」からも他のアジアの国のアイドルと、日本のアイドルの交流と言う企画もあるので、ぜひ来てほしいって言われたんです。
--タイのファンより先に、日本でレアなメンバー構成を披露することになったんですね。
ですね。日本が初になってしまいました(笑)。
CGM48は普段、BNK48の衣装を着ることがないし、BNK48はCGM48の衣装を着ることがないので、こんな衣装を着ているこのメンバーは見たことがないと、ファンの方の間では話題になっていました。
--同じAKB48の曲をBNK48とCGM48が披露することはないんですか?
BNK48の曲をCGM48が披露するということはよくあるんですけど、BNK48がCGM48の曲を披露することは今まで全くありません。だからすごくレアでしたね。
--あれ?イズリナさん痩せました?
あー…(笑)。日本に行くと痩せるんですよね。
--どういうことなんですか(笑)?
今はもうタイにもチェンマイにも慣れたんですけど、空気だったり雰囲気だったり、身体の方は日本の方が慣れているのかもしれないですね。日本に帰ると身体が健康になるのかも(笑)。
--せっかくCGM48ができて、イズリナさんがチェンマイに来て、お披露目になってすぐくらいにコロナ禍がやってきたじゃないですか。
いや、本当にそうなんです(笑)。1枚目のシングルが出たころは、まだコロナの気配は全然なかったんですが、それからすぐにコロナですよ。CGM48はコロナと一緒に始まった!くらいの印象です。
--イベントは全部中止になってしまったのではないですか?
これからイベントをして行きましょうっていう時だったし、セカンドシングルの準備もコロナにぶつかりました。
--かなり厳しい時期だったと思うんですけど、その間はどんな生活をしていたのですか?
GM48メンバーは全員寮生活なんです。
イベントがない限りは土曜日の歌のレッスンが終わったら、日曜日は休みって決まっているので、チェンマイの子は実家に帰ったり、自由な時間がありますね。
でも、バンコクやほかの県から来ているメンバーは実家に戻る時間がないので、寮に残っていて、コロナ禍の直前は寮に残っているメンバーたちと、ちょっと遊びに行ったりっていうことはできていたんですけどね。コロナ禍は、なかなか大人数で集まることもできなくなってしまったので大変でした。
レッスンすら全員でできなかったんですよ。
--えっ?もしかしてイズリナさんも寮に住んでいるとか?
そうです。BNK48にいるときには、バンコクでコンドミニアムを借りて住んでいたんですけど、チェンマイに移ることになった時から寮暮らし。
寮にいた方がメンバーとの交流もできるし、わざわざチェンマイでコンドミニアムを借りなくてもいいので、まあ、いいかなと(笑)。
--タイってバンコクだと普通に芸能人の方が街を歩いていて、見かけることもありますけど、チェンマイでイズリナさん歩いていたら、目立つでしょ?
そうですね(笑)。ただ、実はCGM48ってBNK48ほど知られていないんですよ。
--えっ?チェンマイの人はみんな知っているのだと思っていました。
そんなことないんですよー。今はマスクをしているから、そんなことはないんですけど、コロナ禍前はショッピングしてると「なんでBNK48のリナがここにいるの?」って言われることが多かったんですよ。
私はチェンマイではCGM48ではなく、BNK48のリナとして知られているんですよね。
でも逆にそれを使って(笑)「実は今、チェンマイにBNK48の妹分でCGM48っていうグループがいるんですよ!応援してくださいねー。私、チェンマイに居るんですよ!」って言うようにしていました。
--歩く宣伝部長ですね
CGM48は基本的にシングル曲を出すお披露目イベントはチェンマイで行っているんですけど、BNK48やAKB48グループを知っている人はもちろん知っています。ただ、CGM48の活動はテレビでオンエアされることが滅多にないので、アイドルが好きな人ではない限り、まだまだ知られていないんですよ。
--コロナ禍でも曲はリリースしたりしなければならなかったわけですが…
コロナ禍も最初のころは「イベントに出演する子だけ、レッスンに来て」と言う感じで分けていました。通常のレッスンは、コロナ禍が長引いて、セカンドシングルのレッスンもオンラインで歌レッスンしたり、1曲この歌踊って送ってね、みたいなやり方になりましたよ。
--お仕事はどんなことをしていました?
表向きのお仕事は、YouTubeのコンテンツ作りや、ライブ配信とか、SNSをメインに活動していました。
--タイ語を3か月勉強しても幼稚園児並みの私としてはイズリナさんのタイ語は凄いなと思っているのですが…どれくらい勉強したらそんなレベルになるんですか?
本当は移籍が決まった時点でレッスンを受けたかったんですけど、私はAKB48で選抜メンバーではなかったものの、バラエティー番組には多く出演させていただいている方で、かなり忙しかったんですよね。でもタイ語の本とリスニングだけだと、ぜんっぜん覚えない(笑)。
サワッディカー(こんにちは)、とか、コップンカー(ありがとうございます)とか、アロイ(美味しい)くらいしか覚えられなくて(笑)。
--まあ、実際に使わないとそうですよね。
BNK48に移籍すると、1年だけタイ語学校に通えたんですけど、私がBNK48に合流したタイミングは「会いたかった」でデビューしたばかりで、もうセカンドシングルの「恋するフォーチュンクッキー」をリリースして、イベントしますっていうタイミングだったんですよ。
タイに移ってすぐ選抜にも入れて…それにBNK48って「恋するフォーチュンクッキー」で、一気にうわーっと盛り上がったじゃないですか。ありがたいことに本当にお仕事で忙しくて学校に行く時間は全くなかったんですよね。
--あれは凄かったですね。日本でもニュースになっていましたよ。タイの国民的人気アイドルになりましたからね。
結局学校には行けなくなってしまって、BNK48にいた日本人メンバーの大久保美織ちゃんや、タイと日本人のハーフのさっちゃんと日本語で話をする時間が増えていきました。いつも2人や、日本語が話せるスタッフさんに頼ってしまって。
--自分でタイ語が上達したなあと感じたのはいつ頃からですか?
それはCGM48に移ってからですね。
CGM48には、メンバー・スタッフとも日本語が話せる人はいないんです。タイ語オンリー。
--それは大変でしたね。
だから、タイ語で話さないとどうにもならないんです(笑)。
メンバー兼支配人という立場でCGM48に移ってきたので、コロナ禍メンバーが寮にいなくても、オフィスで仕事をしているスタッフさんとご飯を食べに行ったり、毎日ミーティングをしていたことでタイ語を話す時間が倍に増えました。それで一気にタイ語を覚えましたね。
誰にも頼れず、頼らず(笑)
元々そんなにタイ語が話せる方ではなかったのですが「タイ語力が成長してる」って言われるようになったのは、本当にその頃です
--こういうお話はAKB48のファンの方なら知っているとは思うんですけど、全然知らない人もいますよね。イズリナさんは、なぜタイに行こうと決めたんですか?
初めて、バンコクで行われた「ジャパンエキスポタイランド」のメンバーに、なぜか選ばれたことがきっかけです。
私は13歳から14歳のころには、AKB48の研究生になっていて、そこから長い歴史があるんです。
選抜の人気メンバーではないけど、バラエティ部隊というポジションに私は満足していたんですよね。スタッフさんも他のメンバーが恥ずかしくてできないことを「じゃあイズリナやってよ」ということが多くなり、自分も率先して応えてきました。
でもこれって、他のメンバーのためになるのかなあって思っていたんです。
それにこのままのポジションをキープしていると、新しく得られるものは何もないなと言う気持ちもあって。
ただ私はAKB48 グループが大好きだったので、卒業したいとは考えていませんでした。
--AKB48の「ジャパンエキスポタイランド」出演は当時タイではとても話題になっていたように思います。
そうなんですけど・・・。
バンコクの「ジャパンエキスポ」のメンバーに選ばれたのは、選抜メンバーはいなくて、私みたいな中堅と、そして若手のあまり知られていないメンバーしかいなかったんですよね。
はっきり言うと私たちがAKB48ですよって言っちゃっていいのかなって(笑)って思いました。
タイにAKB48のこと知っている人いるの?・・・いや・・・私のこと知っている人なんているの?って不安で。
でも、日本が好きな方がたくさん集まっていて、AKB48 が大好きっていう人がたくさんいらっしゃったんですよね。その熱意が凄く伝わってきました。
その時初めて、タイに興味を持ったんですよね。
当時は海外のAKB48グループはインドネシアのジャカルタにしかなかったんですけど、今後タイにもBNK48を作って、他にもフィリピンのマニラや、台湾にもできると運営の方にうかがって、私も「おもしろそうだなー」って思っていました。
--自分からBNK48に移籍したいと言ったんですか?
同期で仲が良かった阿部マリアちゃんに「バンコクに移りたい場合ってどうかな?どこに言えばいいんだろう?」って相談したんですよね。そしたらマリアちゃんも「AKB48 Team TP」に移籍したいって偶然思っていたらしいんです。びっくりしました。それで2人で言いに行きました(笑)。
--同じAKB48グループでも、いきなり海外に行くわけですけど、ご家族は驚かなかったですか?
ああ(笑)。うちの家族、割と国際的なんですよね。
例えば叔父がハワイに住んでいて、私たち家族もよく叔父を訪ねてハワイに行ってたり、叔父の奥さんもハワイで働けるグリーンカードを持っていたり。
そういう環境があったせいか、英語が堪能な家族ではないけど、海外移住については凄くフランクで。
もちろん移住する話をしたら「ええ?」とは言われましたけど、「寂しい」じゃなくて「リナが行くということは、お母さんもタイに旅行できるんだ!」みたいな
--ポジティブ!!
元々小さい時からやりたいことは何でもやらせてくれる家族で、即OK(笑)。
--家族の方は実際にタイに来てくれましたか?
タイに着いて2日目くらいに、母がタイに来て1か月滞在してくれました。私はバンコクではコンドミニアムに住んでいたので、色々買いそろえてくれたんですよ。
--いや、不思議だったんですよ。タイ移住って準備が大変で。イズリナさんのBNK48移籍を知った時、あんなに忙しいのにどうやってタイに移住したんだろう?やっぱりアイドルはスタッフさんが全部やってくれるのかなー?とか(笑)。お母様が引っ越した際に色々サポートしてくれていたんですね。
(笑)…。そういえば引っ越し当時のことを、あまり人に話したことがなかったです。
実は私、日本で一人暮らしをしたことがないんです。
--えっ?
初の一人暮らしがバンコクだったんですよ(笑)。
ずっと実家暮らしだったので、恥ずかしいんですけどお洗濯もお料理も母親任せ。おばあちゃんの料理を手伝うことはあったけれど、一からガチで作ったことがないという(笑)。タイに移住したのは21歳だったんですけど、その年齢で何もしたことがなかったんですよ!
今はなんでもできるようになって、タイで洗濯も料理もできるようになったなーと、思っています。
--バンコクではどんな生活を送っていましたか?
バンコクの旅行本をたくさん持って行って、空き時間にチェック。
どうやったらタイを知れるかな?と思って、タイ語のレッスン後、夜の10時ごろ、ふらふらっとナイトマーケットを歩いたりしてました。他の子のメンバーのお母さんに「危ないから気をつけなさいよ」って言われていたんですけど、メンバ―以外のタイ人と接することって貴重でしたし、誰にも守られていない状態でふらふら出かけることは、は日本でも好きだったんですよね。
タイで一人でどこまで、何ができるのか・・・っていうことに興味があったんです。
--AKB48よりBNK48の方が勢いがあった時期がありましたよね?
「恋するフォーチュンクッキー」の時は特にそうでしたね。
--どう感じましたか?
AKB48もBNK48、どちらも一人のメンバーではできないこと。
私はAKB48では有名なメンバーではなかったし、BNK48は私が加入したから売れたわけではないです。
AKB48が大好きなので、AKB48の文化を他の国に持って行って、AKB48を海外から盛り上げたいと思っていました。
「AKB48の姉妹グループが今タイですごい人気なんだって?」と、日本でもニュースになった時はとてもうれしかったし、AKB48よりBNK48の方が勢いがある時は、何かしら恩返しができたらうれしいなって思っていました。
--それでもタイのテレビで偶然BNK48が出演している光景を見た時には、常に目立つ位置にいましたよね?移籍は成功したなって勝手に思っていました。
いやー、私の場合、最初から言語の問題があって、売れていることを喜んでいる場合じゃなかった。ということがありますね(笑)。
まだタイ語が話せないのに、歌番組のMCが「日本人なんですか?」って話をふってくるんですよ。日本人というだけで注目されて、何もしなくても目立てるポジションにしてくれたんだと思います。タイの人が日本人というだけで、こんなに良くしてくれる、っていうことで自分が日本人であることを誇りに思うこともありましたけど、その思いにタイ語で応えられないのが辛かったですね。
--タイでイズリナさんというと多くの人が知っている、と答えてくれるので、凄いなと思っていましたが。
正直に言うと知名度が上がって、恐い気持ちが強かったです。
当時はAKB48のメンバーと連絡を取ると「タイでもバラエティキャラなの?」なんて言われていましたけど「話すのが恐い」と言うと「えっ?あのイズリナが」なんていわれたり(笑)!
でも、何かの番組でタイ語の勉強では出てこない、タイの若い子が使う言葉を使ってみたら、お客さんがバカ受けしてくれて。その時、ああ、これ、日本にいた時の自分みたいだな、ってうれしくなりました。
「日本人」という立場を逆手に取ってタイ語を使えば、下手でも許してくれる土壌があると気付いてからは、ファンの皆さんと沢山話したくなるようになりました。
--そして今、ここはチェンマイです(笑)。なぜイズリナさんが、チェンマイにいるのでしょう?
それはもう、全く考えてなくて(笑)。
「チェンマイにCGM48っていう姉妹グループができるんだよ」って聞いた時には、BNK48としては先輩だし、見守りたいな。すてきなお話だなって思っていたんですよ。まさか行くことになるなんて夢にも思わず。客観的な興味しかなかったんですよね。
--最初は他人事のような感じだったのですね。どのように移籍の話を知ったんですか?
CGM48への移籍の件は日本側から先に連絡が来て「まだタイ側から聞いてないですか?」という感じだったんです。
日本側のお仕事があった時に、日本側の会社に呼ばれて「BNK48からイズリナともう一人のメンバーがCGM48に移籍する話が出てるよ」って言われたんですよ。
これまでこんなに短期間に2つのグループを移籍するメンバーなんていなかったし「私また移籍?私でいいの?」って思いました。不思議と「行きたくない」という感じはなく、立ち上げに貢献できることはすごく光栄だと思っていました。
自分がCGM48に行く理由を想像した時、AKB48から来ている私が、チェンマイの一期生の子たちにBNK48の文化を、もう一人のメンバーと一緒にチェンマイに持って行って、ヘルプする立場だと思い込んでいたんです。
--その後にタイ側の会社からも移籍の話を聞くわけですね。
「チェンマイにCGM48が出来るのは聞いてるよね?」 と言われて移籍の話をされて、CGM48のキャプテンや一期生を支えるメンバーではなく、いきなり「支配人」って言われました。
--いきなりアイドルとしてステージに立っている人に「支配人」というのも凄いですね。
タイの事務所から選択してほしいと言われた条件は「CGM48の支配人」か「BNK48にいながら、兼任でCGM48を助けるポジション」で、私、どっちもイヤでした。
BNK48にいながらCGM48を見ることになったら、BNK48で仕事があるからCGM48のステージに出演できない・・・とか、逆もあって中途半端になるじゃないですか。
--なるほど、確かにそうですね。
支配人だけはもっとイヤでした。
卒業は考えていなかったし、ステージに立つのが好きなんです。13歳のころから表に出る仕事をしてきたのに、いきなり裏方に近い仕事だけになるなんて、自分が精神的に耐えられるかな?楽しくないなって思ったらどうしようと思って。
--アイドルになったことはありませんが、例えワタシでもイヤだと思います(笑)。
そうなんですよ!それで、どちらも嫌です、と答えて、3つ目のポジションを自分から提案しました。
AKB48の先輩で、よく話したことがある指原莉乃さんがHKT48の支配人とメンバーを兼任していたことを思い出したんです。
もちろん自分が指原さんみたいに、両方ができるかどうかはわからないけど、指原さんのやってきたことは、ずっと見てきたし、自分がグループを作り上げることに貢献をしたいという気持ちもありました。
だから「指原さんみたいに、CGM48のメンバーと支配人を両方やりたい」って会社に話しました。
会社からは「負担が大きいと思う」って言われたんですけど、私にとったら表に立てないほうが辛いし精神的な負担の方が大きいです。
--日本ではときどき“AKB48グループの劇場支配人”という人がニュースに出ることがありましたが、どんなお仕事なんですか?
日本のAKB48グループの支配人っていうのは、あくまでも劇場の支配人なんです。
その劇場で「この子頑張ってる!」っていうことを運営の方に伝えることで、その子は次の選抜や、お仕事を手に入れるチャンスができるわけなんですけど、日本の劇場支配人は選抜メンバーを直接選ぶという、そこまでの立場ではないんですよ。
でも、CGM48の支配人は、もうすべてを担当しないといけないんです。曲に合う選抜メンバーを選んだり・・・支配するじゃないんですけど・・・。
--支配、なんかコワイ(笑)。
いやいや、支配じゃないんです(笑)。
次のシングルの選曲や、その曲に合うセンターの選抜、誰がどこのポジションならバランスがいいとかのポジション選抜・・・。BNK48がどういうやり方をしていたかは全く知らなかったので、自分のやり方で模索しました。
私はCGM48のメンバーでもあるので、一緒に踊ったり、レッスンの態度から見ているとメンバーのスキルが目に見えて解るし、運営の方にはそういうのってわからないだろうなと感じました。
メンバー兼支配人だからこそ、メンバーに寄り添えるし、運営の人たちに伝えられるから、今は、このポジションを選んで正解だったと思っています。
CGM48セカンドシングル「メロンジュース」
--イズリナさんは日本でAKB48の選抜メンバーを目指していた時期もあるわけではないですか
AKB48ではそうでしたね。
--支配人の立場を使って(笑)「この曲、自分選抜に入りたいなー、えーい、私、入れちゃえ」みたいなことはないのですか?
(笑)・・・。
もちろんAKB48の曲にはたくさん好きな曲があるんですけど、AKB48当時に私は自分のポジションを自覚していたんですよね。その時点でAKB48を違った面から知ってもらえる人になりたいなって思っていたんです。
例えば、もともと私のポジションは「AKBINGO!(日本テレビ系列で放送されていたAKB48のバラエティ番組)」がオンエアされていることで「ああ、この人知ってる」っていう位置だったんです。それに気づいてからはAKB48のセンターに立ちたいではなく、AKB48に貢献したい、と言う気持ちの方が強くなっていたんですよね。選抜に入ることが貢献ではないし、選抜に入らないからダメと言うことではないし。
--自身が選抜に入る、入らないは・・・
CGM48では、運営側の方から最初は選抜にイズリナを入れる、というのがあって、入らなければいけませんでした。
本当は3枚目の「Mali(มะลิ)」という曲で、自分は選抜に入らないって決めていたんですよ。
勝手な人生設計図だと、1枚目、2枚目は選抜で、3枚目には選抜に入らないで「あれっ?」って思わせておいて、ファーストアルバムの時に選抜に復帰して、それを卒業ソングにしようと思ってたんですよね。
--えええええええええええええええええええ???今、卒業も考えているんですか?
(笑)・・・。いや、勝手にそう思ってただけですよ。勝手な人生設計図ですよ。
あの頃は2年くらいかけて、卒業計画を立てていこうかと思っていたんですけど、コロナ禍になってしまって、自分の人生設計図がガラっと変わってしまいました。
でもファーストシングル、センカンドシングルは選抜に入って来るっていう所までは、設計図通りに進んでいて、3枚目は「どのAKB48の曲にしようかな、センターはどの子にしようかな?」って考えていた時に、運営側から「3枚目はオリジナル曲でいきます」って言われたんですよ。
オリジナル曲なら私が選抜に入る意味もないし、これは私の思い通りなのかなと思って「じゃあ私は選抜に入りません」って言いました。
そしたら「ファンの方たちにイズリナはAKB48の曲じゃないと選抜には入れないの?って思われちゃうんじゃないの?」って言われまして結局選抜には入りました。
実は一番最初にオリジナルソングをいただいた時「これはCGM48じゃなくても誰でも歌える曲だよな」って思って、色々注文を付けたんですよ。
チェンマイ発のアイドルグループだしBNK48と差をつけるなら、チェンマイらしさは必要。
誰でも歌える曲ではなくCGM48から生まれた曲を作ってほしいって伝えました。
アイドルだからかわいくて、元気という路線は変えず、北タイの舞踊が入ったり北の楽器を入れたりとか、色々考えましたね。
そしたら「じゃあリナがプロデュースメンバーに入れ」って言われたんです。
「振り付けも全部リナが考えろ」って言われたんですけど、せっかくのCGM48はじめてのオリジナル曲なのに、全部を考えると私の曲みたいになっちゃうし、私はダンス経験は長いですけど、振り付けを考えたことがないので、全部は違うのではないかと(笑)。
そこで、AKB48グループの仲良くしてもらってた振付の先生にお願いして、YouTubeにUPされている北タイ舞踊とか、北タイの音楽のイメージを全部伝えて振付を考えてもらったんです。
コンセプトを伝えて、デモの曲もタイ語の歌詞も変えたり、日本語の歌詞をいれたり。
コロナで誰もいない寮で、デモテープのレコーディングを、一人ぼっちでひっそりと部屋でレコーディングしていたんですよ。
--凄いですね。予想以上にイズリナさんがCGM48を一から作っていることに驚きましたよ。それに、もともとAKB48のメンバーでありながら、サポーター気質だったんですね。
AKBにいるときからそうだったかもしれません。元々人と交流するのが好きで、ダンスができない後輩がいたら教えてあげたり、会話が苦手な子がいたら話をふってあげたり。同じことを今もしているのかもしれません。
--将来的には支配人を経験して良かったということになりそうですね。
確かに。サポーター気質なので、そうかもしれないです。
--まだまだ若いし、タイが好きな私たちからしてみれば、イズリナさんにはCGM48を長く続けてほしいんですけど、先ほどちらっと言っていたように、アイドルはやはり自分で引き際ということは考えているものなんですか?
「ここのシングルでやめるのが、一番きれいに卒業できるんじゃないかな?」というのは、みんなあるかもしれません。私は今はもうそれは考えていないんですが、AKB48時代から劇場公演が大好きだったので、卒業するなら劇場で卒業したいんですよね。
日本のアイドルグループで専用の劇場を持っているのはAKB48グループだけ。他のアイドルはイベントがないとステージに立てないけど、AKB48は毎日ステージに立つことができるんですよ。
タイではBNK48はバンコクに劇場があるのですが、CGM48にはまだなくて。
--できる予定はあるんですよね?
はい。でも早くても来年というスケジュールでして。日本にいる頃から大切にしてきた劇場がない状態で卒業するのは自分のプライドが許さないと言いますか・・・。どんなに有名なメンバーも、最後は必ず劇場で卒業するのがAKB48では恒例です。
劇場ができてから、劇場ってこういうものだよっていう、AKB48伝統の劇場の良さをメンバーに伝えつつ、それで自分が「ここで」というタイミングが来たら、CGM48劇場でアイドル卒業の日を迎えたいなっていう思いはあります。いつ、というのは考えていないですけど(笑)。
--いつかCGM48を卒業する日が来ても、タイで一人でタレント活動したり、タイと日本の架け橋になるようなお仕事は続けるんですよね?
はい!その後の人生について、今の段階ではタイにいるか日本にいるかは決めてはいません。
ただ、どちらにいたとしてもタイと日本に関わる仕事をしたいと思っています。
例えば日本にいるなら日本の「タイフェスティバル」に参加したり、日本の人にタイの良さを伝えるお仕事をしたいですね。タイにいるなら、タイ人に日本の良さを教える仕事をしたい。
いつか卒業するころ、その時の状況次第かな?
でもその前に、1ヶ月間、家族と旅行に行ったり、友達と会ったり、「仕事をしない」月を作ると思います。
--これだけタイ語が上手で、タイでもしっかりと知名度があるイズリナさんレベルなら絶対できそうですよね
いやいやいや。本当ですか?がんばります!
--BNK48がタイで爆発的に流行ってから、タイには日本のスタイルのアイドルが一気に増えましたよね。
そうなんですよ。タイには日本スタイルのアイドルがたくさんいます。
私はアイドルが頑張っている姿を見るのはすごく好きで、今もCGM48にいながら他のアイドルが、どんなパフォーマンスで、どんなファン層なのかというのは凄くチェックしていますね。
--そうなんですね!
タイって、(BNK48やCGM48が)他のアイドルと共演するイベントがなかなかないんです。でも、タイの他のアイドルグループにいる人ってAKB48を好きで、アイドルになったって人も多いんですよ。私のこともBNK48だけではなくAKB48から知ってくれているっていう人もいて、うれしいです。
今回、「TOKYO IDOL FESTIVAL 2022」に参加させてもらった時も、SUMOMOというグループと、SIAM☆DEAMというグループが参加していて、やっと話せました。日本語を話せるメンバーもいて、交流もできたので、今後はタイでもそういう交流の場が増えたらいいなって思いました。
--イズリナさんにとって、タイへの渡航はとても大きな意味を持っていると思うのですが、イズリナさんにとってタイとはどんな存在ですか?
日本にいたら出会えなかった人に会え、体験できなかったことが体験できました。
私は仕事にまじめすぎるタイプなんですが、タイの人は「大丈夫、大丈夫」って言ってくれるんです。
日本って「頑張って、頑張って」「とりあえずこれやらなきゃ」というのが割と日常の常識なんですけど、その日本人的思考はありつつも、「ああ、ここで息を抜いていいんだ」ってことを学ばせてもらっています。
「ああ、もういっぱいいっぱいだ」って思った時に、お菓子を食べて遊んでいるメンバーがいて癒されたり(笑)、そういうちょっとしたことで、タイマインドが学べますね。
日本にいたら外国人の方とお仕事することはなかったし、違う国のマインドを取り入れながらお仕事をすることなんてなかったと思います。AKB48に入っていなかったら、こんな仕事はできていないので、AKB48に本当に感謝していますね。
--AKB48グループの海外チームに行かれた方たちは、本当に国際的な仕事をされていますよね。
私は英語ができないので、だからこそタイ語を頑張れたのかなと思いますし、言葉が通じなくてもメンバーの目標や、やりたいことが一緒だから、同じステージを作り上げられる。
例えばマニラのグループと一緒に踊るとなると、みんな同じAKB48のダンスで歌えるという連帯感。それを体験できる。こんなこと他のアイドルグループではできないので、AKB48グループに所属で来ていること自体を誇りに思っています。
イズリナが選抜入りしていない4thシングル「前しか向かねえ」
--「Mali(มะลิ)」のミュージックビデオを見ましたが、イズリナさんが苦労してチェンマイらしさを加えていっただけに、本当にチェンマイらしいグループだな、とCMG48の魅力が再確認できました。
えー。ありがとうございます!
--イズリナさんが思うチェンマイの魅力はどんなところですか?
本当は私はショッピングが好きで、都会向きかもしれないんですけど(笑)、チェンマイはバンコクよりはスローライフが満喫できます。チェンマイに来てからの方が落ち着いた生活が送れていますね。時々、寮に住んでいるので休みの日はメンバーとカフェに行ったり、写真撮りに行ったりしているんですよ。ただ、私は歩くことが大好きなんですが、タイ人はなかなか一緒に歩いてくれないんですよね。
--タイ人ってあまり歩くの好きじゃないんですよね(笑)。
そう(笑)!
コロナ禍は一人でいることも多かったので、チェンマイにあるかわいいカフェ巡りを一人で歩いてやってみたり、チェンマイにある日本料理屋さんに行ってみたり。
アイドルとしてではなく一人の人間として、プチ旅行的なことをしていました。チェンマイは一人で歩いても癒されるスポットがいっぱいあります。
日本の方もたくさん住んでいるようで、私はまだお見かけしたことはないのですが、なぜ日本人に好かれる場所なのか分かるような気がしています。
日本のAKB48のメンバーにチェンマイを紹介する時は「バンコクは東京だとしたら、チェンマイは配置的には北海道。寺院が多く古都なので京都的な要素があるし、軽井沢のような雰囲気もある」と伝えています。
新型コロナウィルスが落ち着いたら、日本のメンバ―にもチェンマイに遊びに来てほしいと思います。
--最後の質問になりますが、タイに住みたいな、と思ってもなかなかその一歩が踏み出せない人もいます。そんな人たちにイズリナさんから背中を押してくれるようなひと言をいただきたいです。
タイに少しでも興味があったら、恐がらないで飛び込んで、何でもやってみるべき。
タイ人は日本人に優しくしてくれる人が多いので「ここにいてもいいんだ」って思える場面がたくさんあります。
タイだから、日本だからっていう国の常識にとらわれず、タイが気になっている人は自分の目で確かめに来てください。
慣れるまでには時間がかかります。「タイとは合わないなあ」と思った時は、すぐに帰国せず、行ってみたい、やってみたい、と思ったことに挑戦していくことで、少しずつタイの文化に馴染んでいくと良いと思いますよ。
--ありがとうございました!
***
アイドルはもっと守られた存在だと思っていた。誰も頼らず自ら判断し、逃げずに決断する場面がいかに多かったのかを、このインタビューで知らされた。
彼女がここまで今の自分のポジションを、一人で悩み、切り開いてきたことも、全く知らずにいた。
このインタビューを終えた後、もう一度見た「Mali(มะลิ)」のミュージックビデオは、全く別の物に感じ、涙ぐんでしまった。
この曲や映像の中には、コロナ禍にチェンマイで一人で格闘していた彼女の全てが詰まっているように思う。
また「Mali(มะลิ)」はタイ語でジャスミンの花の意味。歌詞にも出てくるが、ジャスミンは小さな可憐な白い花が集合し、大きな房を作ってこそ美しい。
一人では何もできないけれど、集まることで人を見取れさせる花となる・・・まるでCGM48そのものではないか。
支配人であるイズリナは、ジャスミンの花を咲かせる樹のような存在なのかもしれない。
(取材・文:吉田彩緒莉)
***
伊豆田莉奈(Izurina CGM48)
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