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ある車椅子男性のタイ一人旅~田中れいな追っかけバンコク滞在記(後編)

2014年10月16日 配信

ある車椅子男性のタイ一人旅~田中れいな追っかけバンコク滞在記

2014年8月25日-9月11日・タイレポート(2)

大久保 健一

ホテルに帰り優雅な気分で休んで、二日目の朝のジャパンフェスタのオープンに合わせてまた会場に行った。ステージの場所取りは前日より空いていた。今日はなっち(安部なつみ)がメインゲストだ。ファンは昨日のラベンダーよりは少なくて余裕で最前席を陣取れた。また前日と同じように大学生達の気合い入れから始まった。はっぴ(法被)を着て円陣を組むのだが、太鼓を叩いたり歌を歌うなどしながら、最後に「おー!」とまとまるのが日本の気合い入れとちょっと違って面白かった。二日目のカバーダンスコーナーもハロプロが一番盛り上がってモ―娘。や℃-uteはもちろんJuice=Juiceの新曲までカバーしている所が感心させられた。そして午後三時になりなっちが登場した時にはタイ人の観客も溢れ返って満杯になっていた。

安倍なつみ

歓声の大きさはラベンダー以上でモー娘。黄金期の貫禄があった。オリジナル曲もちょっと歌ったがやはり「ラブマシーン」や「恋愛レボリューション21」などモ―娘。のヒット曲がすごく盛り上がった。タイ人のカバーダンスグループも「恋のテレフォン GOAL」を共演した。まるで、あのころのモ―娘。がバンコクで蘇ったようだった。タイのなっちファンのグループもいて、やはり自分達でオリジナルのTシャツを作ってなっちの似顔絵をプリントしていた。日本のモー娘。ファンとしては嬉しい限りだった。なっちが退場した後も余韻が冷めやらず、ハロプロのナンバーのカバーダンスがしばらく続き盛り上がったのだった。そのダンスグループにもお抱えファンがいるぐらいのセミプロだった。終わってからは一緒に写真を撮ってもらえた。海を越えてこんなにハロプロが浸透しているとは僕も感動したし来た甲斐があった。そしてジャパンフェスタ自体も終わったが来年も開催するようなので、また来たいと思った。日本から持ってきたハロプロのCDはカバーダンスのグループに配って啓発活動をしたのだった。

ある車椅子男性のタイ一人旅~田中れいな追っかけバンコク滞在記

その後は五つ星のホテルでゆっくり休んでプールとかでくつろいだのだった。このホテルでの生活も終わり、荷物を預けて一晩ナナ界隈で飲み明かしてオールをした。翌朝、14時チェックイン予定のの次のホテルに、朝5時に行ってチェックインをさせてもらえるように頼み込んだら、奥の支配人さんが「もう部屋に入って良い」と入れてくれた。ここは三つ星ホテルでタイ一ノッポなバイヨークスカイのグループの真裏にあるバイヨークブティックホテルだ。五階建てで古いホテルだが、部屋はスイートクラスで広くてすごしやすかった。しかも、入ってすぐにエレベーターがあるので部屋まで行きやすい。それに加え、目の前のバイヨークスカイホテルのプールなどを自由に使え、僕は無料のドリンクバーばかり飲みに行っていた。このホテルの前はエアポートリックの駅なのでアクセスも便利だった。庶民的な屋台街も広がっており、インド人街も近く、カレー屋もいっぱいあった。ロビーには読売新聞もあって日本のニュースもチェックできた。WiFiは有料だったので歩いて10分くらいのとこにあるJCBラウンジまでパソコンを持って行ってネットをしていた。ちょうどJCBのキャンペーン期間だったので1日1回利用したレシートを見せると300バーツのセントラルデパートの商品券が貰えた。それだけで2000バーツ近くもらえたことになる。それを使って新しいリュックサックも買えたので運が良かった。

ある車椅子男性のタイ一人旅~田中れいな追っかけバンコク滞在記

日本人街のタニヤ通りのカラオケバーに行きハロプロを歌ってその名を轟かせたり、バーで会う人会う人にCDを配ってタイの地でハロプロの普及活動を行う毎日だった。それなのにタイの女の子はAKBを歌うことが多くて僕らハロオタの力量不足を実感させられた。

路上生活する障害者も多かったので、日本から持っていった痛み止めやシップなどの余りをそのような方々に配ってきた。少しでも日本の物が役だってくれれば嬉しい。小さな事から同じ障害者として支えあっていければと願っている。

ある車椅子男性のタイ一人旅~田中れいな追っかけバンコク滞在記

こんな毎日を過ごしていたが、特筆すべきはテレビ東京の「大食い王選手権」の決勝に立ち会えたことである。バンコク市街地から10km以上離れたチャオプラヤ川の川沿いにできた新しい観光スポットのアジアテーィクで行われた。BTS(スカイトレイン)を乗り換えながらなんとか着いた。ここは昔の倉庫街を改装してレストランやショップを立ち並べたオシャレなショッピングゾーンになっている。そこの敷地内にセットが作られていて、決勝まで勝ち残った3人がラーメンを1時間で何杯食えるかで戦った。司会はおなじみの中村有志。彼の名調子の進行で始まり、僕ら観客は50センチしか離れていない場所で試合を観戦できた。横のテントからどんどんラーメンが運ばれてくるのだが、タイなのに日本風の醤油とんこつラーメンだった。30分を過ぎると途端に空が曇ってきて滝の様な大雨が降ってきたので、慌てて軒下に入り、声だけ聞いて試合を見守った。腹が膨らむラーメンだから試合の中断はなく、大雨の中試合が続行された。そして大雨のなか試合がおわり優勝者が決まったという声が聞こえた。本当にすごい大雨なので帰るに帰れないのでアーケード内をうろついていたら、番組スタッフたちが撤収していたので、あわてて近づいてチャンピオンと群馬の出身の女性と写真を撮ってもらった。準決勝まで残っていた選手もスタッフと手伝いをしていたので、その人たちがシャッターを切ってくれた。思った以上にみなさん優しく試合後でも親切に接してくれたので嬉しかった。また機会があったら大食い選手を応援して行きたいと思った。

今回の旅でバンコクの郊外にはまだまだ行ってない所が多いし、車椅子でも工夫すれば行ける事が確認できたので、再訪してバンコクのもっと奥の部分を周りたいと思わされた。それとタイのイベントは細かいことは気にしないで盛り上がって行く気概があるので、日本よりイベント自体が楽しい雰囲気があることを実感できた。今度来るときはタイでの色んなイベントに参加してみたい。そしていつも思うことだが、ハード面では段差とか多くバリアが多いが、ソフト面のホスピタリティは日本より暖かく笑顔が多いので、居心地がよかった。それに加え地下鉄などはエレベーターが増えて使いやすくなり、普通のバ―とかでもスロープを付けてくれる店が増えて徐々に車椅子でも歩きやすい街になっていることが肌身で感じる。それがまた来ようと思いになるし、ホテルもネットで安いホテルでも泊まれるところが発見できたので、余計に訪れやすくなった。帰りの飛行機では搭乗拒否がありトラブルがあったが、バンコクの街の中は大きなトラブルなく帰って来られた。だからこそ日本からタイに行く航空便は誰もが搭乗しやすくしなければいけないと痛感した。この課題をなんとか解決して車椅子で行きやすいバンコクを実現したい。そしてこれからの人生で何度もタイには訪れて、アイドルの普及やタイの人たちともっと仲良くなっていきたいと思う。

ある車椅子男性のタイ一人旅~田中れいな追っかけバンコク滞在記

この旅は訪タイ9回目だったが、改めて色んな事を学び、タイの人たちの温かさが身に染みた二週間であった。屋台の焼鳥とかを買ってお金を払おうとすると「マイペンライ~」と笑顔でお金を受け取らないタイの皆さんの心意気は一生忘れないだろう!!!

[2014年10月16日掲載]

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