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こんにちは、カオサン通りにございます旅行代理店「SawasdeAngkorTour」の日本人セクションを担当させて頂いております丸山です。
外国人バックパッカーの聖地として知られるカオサン通り。そもそも「聖地」と呼ばれる所以は何なのでしょうか?
まず考えられるのが、300メートル程のそれほど長くはない通りの中に、バックパッカーに必要と思われる店がズラリとひしめき合っている事。
バックパッカー向けの安宿、レストラン、旅行代理店、古本屋、洗濯屋、衣料品店、お土産物屋、美容室、マッサージ屋が軒を連ね、カオサンエリアから一歩も出ること無く、殆どの用事を済ましてしまうことが可能です。
おまけにタトゥー屋さんも多くあるので、気軽に一筆入れられますね!ドライブスルータトゥー・・みたいな(笑)
2つ目の理由は、多くの外国人が国籍や人種に関係なく、それほど広くは無いカオサンエリアに集まっているというカオス感が関係しているのではないでしょうか。
夜になれば南国特有のネトネトした湿気の中、昼間よりさらに多くの旅行者がカオサン通りに繰り出し、車が2台すれ違えるほどしかない幅の道路に様々な食べ物屋台が軒を連ね、完全に歩行者天国になったカオサン通りには果物やパッタイ、串焼きやケバブなどの他、サソリやタガメなど食用の昆虫を売る屋台、さらには海賊版のCDやDVDを売る店、極めつけは偽造の身分証明書などを造る怪しい屋台も現れ、カオス感を一層、増長させてくれます。
かと思えば、セブンイレブンやマクドナルド、バーガーキングやスターバックスなど、お馴染みのチェーン店も充実しており、カオス感に疲れた場合の避難所のような役割を担っているような感じですね。
カオサン通りの元々の役割?といえば、そもそもはタイ国内を旅行する方だけではなく、隣国のミャンマーやカンボジア、さらにはインド、ネパールなどを旅行するバックパッカーもまずカオサンロードに拠点を置き、旅の情報収集や航空券の購入をすると言う事がメインだったと思います。
しかし近年、いわゆる格安航空会社(LCC)の航空券がネットで買えるようになったり、インターネット(スマートフォン)の普及で以前程、旅の情報収集が目的でカオサンを訪れる人は少なくなっているようです。
ただ、それでもやはり格安のツアーや各地行きツーリストバスなどはネットで購入するより現地で直接購入した方が格段に安いため、バックパッカーの多くは今でもカオサンにやってきますし、バックパッカーでは無い、大手旅行会社のツアーなどでバンコクにお越しになった観光客の方なども「バックパッカーの聖地」という、ある意味「観光名所」と化したカオサンを見るために訪れます。
最近では、バックパッカーの予算ではとても泊れなさそうな、プール付きのホテルも増えており、ご家族でカオサンにご宿泊なさる方もいらっしゃいます。
また、以前はバックパッカーが宿代を少しでも削るためにあったような100バーツ前後で宿泊できる「ドミトリー(共同部屋)」の宿ですが、近年はオシャレで綺麗なドミトリー専門の宿なども増えております。
料金は300バーツ位するドミトリー専門宿も有り、クオリティーさえ選ばなければ宿によってはエアコン・シングルのお部屋にも宿泊できてしまいそうな料金ですが、いわゆる「バックパッカー体験をしてみたい」旅行者に人気のようです。
僕が初めて東南アジアのバックパック旅行をした14年前、例に漏れずカオサン通りを旅の拠点にしていましたが、その当時に泊っていたのは1泊120バーツのファン(扇風機付き)・シングル。スマホやタブレットなんて当然無く、ノートパソコンも高嶺の花。情報収集は先輩旅行者から経験談を聞いたり、当時カオサン通りに多くあったインターネットカフェで行っていましたが、当時のインターネット速度は現在のようにサクサクという感じでは無かったですねー。サイトも文字ばっかりで目が疲れちゃうし、一枚でも画像を貼り付けでもしたら、表示するだけで数分かかってしまうような・・まあ、当時はそれが当たり前だったので、それほどイライラはしませんでしたが。
それでも、僕らより上の世代の先輩旅行者にとっては、速度が遅いとは言え、インターネットで情報収集なんて贅沢の極み、邪道もいいところだなんてお説教されたモンです(笑)
まあ、先輩達は本当に旅行者間の情報交換や、安宿に置いてある情報ノートを元に世界を駆け巡っていたわけですから、確かに尊敬に値しますね。
そんな、当時30~40歳位であったであろう先輩達が口を揃えて言っていたのが、「カオサンは昔とは変わっちまった・・」という事。
昔は本当に、「カオサン通り」一本に集中していた安宿が、カオサン北のランブトリ通りや、チャオプラヤー川沿いのプラアーティット通りにも増え「カオサンエリア」になり、カオサンエリアに泊る「旅行者」は増えたけど、「バックパッカー気取りの、チャラい旅行者が増えた」・・と。
僕は先輩達にはどう映っていたのかな・・?(笑)
14年前に初めてカオサンに来た僕から見ても、現在のカオサンは14年前とはさらに雰囲気も、訪れる旅行者の客層も変わったような気がしますが、当時の先輩達が今のカオサンを見たら、一体どんなことを思うのでしょうか。
14年前には、安宿は増えていたものの、カオサンとは違い静かな落ち着いた雰囲気の宿や屋台、レストランなどが多く人気だったランブトリ通りや、ワットチャナソンクラムの裏通り、通称「寺裏」も現在では膨張しすぎたカオサンの受け皿のように騒がしいエリアとなってしまいました。
現在、カオサンから北に歩いて10分程の川を渡ったエリア「サムセン通り」が、新たに「落ち着いた雰囲気の安宿街」として人気ですが、サムセン通りも数年後には「カオサンエリア」の一部として吸い込まれてしまうのでしょうか。
でも、僕が初めて訪れて衝撃を受けた14年前の「カオサンロード」も、旅の先輩達が過ごした古き良き「カオサン通り」も、そして今現在、旅行者の他にタイ人の若者をも巻き込み、進化し続ける「カオサンエリア」も、それぞれが想う「カオサン」である事には違いありません。
日本人バックパッカーの中にはこのような「カオサンの変化」を嫌い、痛烈に批判する著名なライターの方などもいらっしゃいますが、変化・進化し続けていくことがカオサンの宿命であるとするならば、時代と共に変わりつつあるカオサンの風景を目に焼き付けながら、それぞれの時代のカオサンを楽しんでいきたいですね。
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