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足掛け10年のタイリーガーと元J2日本人得点王にバンコクのサッカー小僧たちのために登壇いただいた…!! -彼らは元チームメイト、そもそも「いとたく」ってどんな奴!?-
コロナウィルス蔓延の対策措置としてのロックダウン…5月5日より引き続き公園は閉鎖されているのですが、サッカー(フットサル)場は「蔓延防止策を講じていれば」との条件付きにて活動はOKという政府から通達にて、(「いとたく」が指導に関わる)セレッソ大阪バンコク校では活動を1部を除いて再開しています。
とはいえ、対外試合はNG…そこで5月1日と9日の日曜日にオンライン講習&交流会として、第1回と第2回には、足掛け10年タイでプレーするタイサッカー界のレジェンド片野寛理選手に、そして第2回には元J2日本人得点王で現在は日本初のストライカーコーチの長谷川太郎氏に登壇いただきました。
そんな彼らは「いとたく」のギラヴァンツ北九州時代の元チームメイト…更に2011年にタイ挑戦を共にした同士でして、まさかこの3人で10年後に集まれると思ってもいませんでした。
こちらのオンライン講習&交流会が終了した直後に、本当に久々に元チームメイトから連絡をもらい、一本の動画を送ってくれました。「2001年、第81回天皇杯全日本サッカー選手権2回戦、そして3回戦」の時の映像。この大会2回戦で佐川急便東京SCは名古屋グランパスに4-0の快勝、ジャイアントキリングを起こす(因みに「いとたく」は4点目をCKから頭で押込んでいる)。因みに佐川急便東京SCはこの大会が天皇杯初出場、その後コンサドーレ札幌を下したり、ジュビロ磐田を2-3と追い込んだり、川崎フロンターレ相手に先制して5点ぶち込まれたり…天皇杯での1試合1試合がとても良い思い出となっています。
因みにこの川崎戦を観に来たファジアーノ岡山関係者から「力を貸してくれ」と打診を受け、後に30歳を過ぎてプロになりJリーガーを目指す戦いに没頭することになります。更に2008年にはJFL(当時のJ3)での選抜メンバーに選ばれ、タイへ遠征…初めてタイサッカーに触れる機会を得られました。この経験が2010年に解雇された際に、少なからずタイ挑戦の後押しになったのかなと今振り返るとそう思えるかな。
第1回では片野寛理選手による「プロサッカー選手ってどんな人⁉」「自分との向き合い方」、第2回では「ゴールとは⁉」、長谷川太郎氏のFWからの、そして片野寛理選手のDFからの「ゴール論」を講義いただきました。主に3人が出場していた2009年の試合の映像から「ゴール論」を紐解いていってもらったのですが、2人とも自分のプレーの意図を言葉に出来る凄さを目の当たりにさせていただきました。
でも俺にとって2009年の北九州の試合って、2008年にファジアーノ岡山のJ昇格させたにも関わらず解雇され…でも更にJ昇格を目指すギラヴァンツ北九州に拾ってもらった。「もうココでJ昇格出来なければJリーガーになれないんだろうな」という想いを持って戦っていたシーズンなんだよね。
現在はセレッソ大阪バンコク校のコーチ兼アドバイザーとして指導の場に立っているのであるが…前述のジャイアントキリングの後の3回戦でセレッソ大阪と対戦、0-2で惜敗したのであるが、この試合に森島現セレッソ大阪球団社長もピッチに立っていて、本当不思議な縁を感じますね。
「いとたくさん、辞めるのはいつでも出来るんだから」と半ば引退を決意していた自分にタイ挑戦を薦めてくれた片野寛理選手には、セレッソ大阪バンコク校の選手達の憧れの存在で居続けて欲しい。長谷川太郎氏には、コロナが終息した際にバンコク校の選手達と一緒にボールを蹴るべく来タイいただければと思っています。
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