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北九州…2009~2010年にプレー。35歳と遅咲きながらJリーガーになった地、しかしプロという世界では自分は生きていけないと、厳しさや己の実力を加味して、頭では感じていたことを身をもって現実として突きつけられた地でもあった。
時は変わって2019年、何故かここバンコクの地でギラヴァンツ北九州(ニューウェーブ北九州)で関わった同僚に再会する機会に恵まれている。
同い年でギラヴァンツ北九州(ニューウェーブ北九州)がJへの階段を登る土台を築き上げたレジェンド“水越 潤”氏。
2010年Jリーグ昇格元年のシーズンインに怪我でリハビリ生活の苦楽を長きに渡り共にした“河内勇太(KAWACHI)”。
そして先にタイに渡り活躍、俺がタイサッカーを知る切掛けとなった“久保田 勲(ISAO)”。
彼らとバンコクでボールを蹴ったり、近況を話したり…当然北九州を懐かしんだり。共に北九州でJを夢見た戦友とのひと時は言葉では表せない幸せであり濃厚な時であった。
そんな中、北九州で同じ釜の飯を喰った後輩が、日泰とステージは違えどタイリーグ・ディヴィジョン1を目指して歩みを止めずに戦っている。シーサケットFC No.4の“片野寛理(KATA)”選手…何度も言うが彼は俺をタイへ導いてくれた後輩(であり恩人!?)なのである。
ここでタイリーグ・ディヴィジョン2についておさらいしておこう。このリーグは“M-150 Championship”と呼ばれ、来季からディビジョン1が16+2チーム増えるため、今季は3位以内に入ると自動昇格。因みにシーサケットFCは開幕前に‐12ポイントのペナルティを課されており、その中での3位圏内キープは立派としか言いようが無い快進撃ぶり。
残り3節にてバンコク近郊のエアフォース・ユナイテッドのスタジアムでシーサケットFCの試合がある…という事で、この試合の観戦を目的に来タイしていた“ISAO”とスタジアムへ訪れた。
バンコクから8時間、カンボジア国境の街のシーサケットは、バンコクへの出稼ぎ労働者が多い他、地元の熱狂的サポーターも多くホームもアウェーも沢山の人が観戦に訪れる。この日もスタジアムをジャック。チームカラーのオレンジ色に染めていた。
試合の方は勝ち点3を取りに行くシーサケットFCと、とにかく後ろに人数を割く堅守で速攻型のエアフォース。正直両チームのサッカーが噛み合っていなかった試合は2‐0とシーサケットFCの完勝に終わった。
“KATA”は現在37歳、俺が現役を退いた歳に昇格という自分だけでなく、おらが街のチームへの夢の環境に身を置きプレーする日々は、老け込んでしまう事が出来ない位の刺激なのでは無いかな。1児の父となった彼は、カッコいい父ちゃんで居続けることもモチベーションとなっているんじゃないかな。そんな“KATA”を身近に応援出来る環境にある俺も、ある意味恵まれた環境なのかも知れないね。
因みに、現在ギラヴァンツ北九州はJ3にてJ2昇格圏内の2位をキープ、小倉の新スタジアムはJ3は似合わない。是非とも上のステージで戦う姿を観たいものだ。
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