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“自分の実力に自信を持てなかった”から、大学を卒業して社員契約でサッカーを続けられる環境を常に歩んだ。でも“自分のやっていることに自信を持てていなかった”から、サッカー選手であることをあまり表立って公言していなかった。だってプロな訳じゃないじゃん…。アマチュアのリーグに100試合以上出ても、アマチュアの大会に優勝しても満たされない。だって“上には上がいる”んだからさ。
唯一違う思いで戦っていたのが天皇杯、ここでJリーグのチームとやり合うことでジャイアントキリングを起こし、“自分のディフェンス力だけには絶対の自信を持っていた”から「どんなもんじゃいっ!!」と鼻を高くしていたっけ。
“もぅそろそろ引退かな”、と試合出場が激減したときに…でも“サッカー選手生活の終わり”を消化出来ていない自分がいた。そのタイミングで移籍の話が浮上、“こんな俺でも必要とされた”ことに驚き、やがてプロサッカー選手となった。しかしそこはJの舞台では無く、“サッカー選手です”と胸を張ってはまだ言えなかった…
Jリーガーになってピッチに立った際、“そこにどんな景色が広がっているのか!?”…そのことだけを追い求めて、晩年は老体に鞭を打ってボールを追いかけていた。そしてその夢を実現させた時、見えた景色は“日ごろと変わらないピッチ”に思え“また立ちたい”と感じられた。だからタイでもプレーを続けたのかな。プレーの場は2部リーグだったから、“タイのトップリーグで見える景色は!?”との思いでね…まぁこの夢は実現しなかったけど、叶ったとしても“日ごろと変わらないピッチ”に見えたんじゃないかな。
“上には上がいる”、そしてもぅ2度と登れない。引退してからはアマチュアのリーグ戦や大会に参加して15~20歳年下の相手にムキになり、勝利や優勝に仲間と一喜一憂している。そこには“満たされない思い”はもぅ無いかな。
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