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バンコクのアマチュアサッカープレーヤーが奇数月の夜に集まり、総当たりのリーグ戦により6人制サッカーのチャンピオンを一夜で決定するバンコクJ-Leagueというものが存在する。この大会が産声をあげたのは2015年4月29日、不定期に行われていた大会は少しづつ変化しながら現在の形に定着。トロフィーやメダル等は存在せず、ただひたすら名誉をかけて…。
Creerメンズクラスは第一回大会から参加。勝てない時代が続き、当初は”喧嘩!?”と思う位の話し合いも何度か行われた。そこから徐々に”負けないサッカー”が定着していき順位を上げる。しかし無敗でも得失点差に泣き”優勝”に手が届かない苦しい時期を乗り越え…初優勝は2017年1月大会、戴冠までに1年半もの月日を費やした。
今年3月の大会を最後に、俺はCreer FC卒業に伴いCreerメンズクラスからも退くつもりでいた。だから家内に観に来てもらって、そこでしっかりと”けじめ”をつける決意でプレーした。結果的に2連覇出来、みんなに胴上げされて最高の卒業式となった。
OJIN Cupで負ったケガが癒えず、ここ最近はボールを蹴らずに治療と休養に充てていたのであるが、ある日長くCreerメンズクラスでプレーする友人からLINEメッセージが届いた。「本帰国の日にちが決まりました。7月大会が最後になりますので、是非とも一緒にプレー頂き”優勝”をして帰りたいです」もう優勝しかないよね。
フットサルの大会や11人制サッカーの試合に参加し自分がプレーすることで、やっぱり競技形態によって当たり前なんだけど、戦い方を変えなければいけないと感じる。11人制サッカーの戦い方は身体に染み込んでいるのであるが、フットサルの時は低い位置からでも(ボールを取られても良いから)仕掛けなければならないし、前が空いたらミドルをドンドン打たなければいけない。普段のバンコクJ-Leagueは1試合の時間が短いから兎に角相手陣地でプレーしなければいけないし、ゴールが生まれないと勝てないので殴り合いのようなスピーディーな試合に持ち込まなければならない。今回は俺が抜けていた4ヶ月の間にメンバーやシステムが変わり、攻撃的な選手が増えたので黙っていても得点は生まれる。そこで俺は無理をせずにゲームを落ち着かせる様にコントロールするのが役割なのかなと感じながらプレーした。40歳を過ぎ、”昔と違う身体を受け入れ、試合展開や場面を予測し考え続けながらプレーする”作業が好きなり楽しくなってきた今日この頃。
なんとか無敗で優勝することが出来た。友人へ最高の花道を用意出来たなと…大会終了後のミーティングでチームスタッフより驚くべき発表がされた。「Creerメンズクラスは8月の活動をもって解散します」とのこと。チームを離れている身としては”このチームの存続を望む”と声を大にして言い難い立場だが、今は驚きで少し混乱している。
試合会場を去る帰り道、本帰国する友人と一緒に帰路に就いた。「優勝出来て良かった…けど(解散の発表を受け)、”有終の美”ではなくチームをどうにか存続させたいよね。このチームで一緒にプレーした多くのメンバーのためにも」何かしらの行動をして行こうと考えている。
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