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2008年シーズン、俺達はJFL最終節でJ2昇格を決めた。31歳で追い求めることになった”Jリーガー”への夢が叶う…でも俺は自身の選手としての衰えを痛感していた。だからこの時は翌年はレギュラーを張る事は無理、だけど”桃太郎スタジアム(現シティライトスタジアム)にJリーガーとしてピッチに立つ”夢を果たす権利を掴めたのかな。そう感じていた。
2008年シーズン終了を機に岡山を後にした俺は”Jリーガー”の称号を手にするのに更に1年を費やした。でも残念ながら”桃太郎スタジアムにJリーガーとしてピッチに立つ”夢は実現出来ずに選手生活を終えた。
“岡山からJリーグを”、この夢に関わってから10年が経つ。”プロサッカー選手”という職業を俺に与えてくれた岡山には本当に感謝している。正直俺にオファーが届いた時は「えっ、冗談でしょう!?」と思ったっけ。でも友人関係にあった木村社長と始めて面談をした時に”俺を必要としてくれている”事に驚き、そして自分の中では”岡山に行く”と直ぐに決心していた様に感じる(娘の出産を控え、家族的にはそんなこと言ってられない状況であったのであるが…)。
2016年8月下旬、ファジアーノ岡山より”OBスペシャルマッチ”の便りが届いた。今更だけど、俺はタイに居る。初めてこの話を聞いた時は”出場は現実的じゃない”様に感じた。でもね、引退して一線を退いている身だし、ましてや半月板を損傷し右膝に爆弾を抱えている自分だけれども、大人クラスで身体は動かしているし、選手達に説得力のある指導者であることを維持するために毎日ボールは蹴っている。そして年齢の事も考えると動けている自分が”桃太郎スタジアムに帰る最後のチャンス”に感じたのも事実。迷う俺の背中をCreer fcコーチ陣が押してくれたんだよね。
出場選手が多く充分にプレータイムは与えられないかもしれない。だけど俺は2006~2008年の2年半の在籍期間で示してきた”熱さ”を表現して来ようと思っている。何人かタイでの教え子が観に来てくれるようだし、格好悪いところは見せられない。俺の”日本での引退試合”だと勝手に位置付けて、しっかりと準備して行こうと思う。
ファジアーノ岡山 FAGIANO OKAYAMA
http://www.fagiano-okayama.com/
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