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小川雅洋さん…Jリーグクラブ経営アドバイザー。不思議な縁で、立場こそ大いに違いこの表現は失礼かもしれないのであるが、時を同じくして人生における決断期を一緒に過ごしている様に思う。
小川さんが社長職を辞してファジアーノ岡山に専念する決断をされた時、俺は20代でずっと敬遠し続けていたプロの世界へ飛び込み”Jリーガー”を目指す決断をした。
タイで指導スクールを移籍し、アカデミーチームを強くするという目標を持続させるためにどうすれば良いかと悩んでいた時に、俺は岡山を訪れた。この時小川さんと色々な話をし、俺は大いなるヒントや志を得て帰タイ…数ヶ月後、小川さんはファジアーノ岡山を離れJリーグへ足を踏み入れた。
現在小川さんは単身赴任でFC琉球のクラブ運営に携わっている。その忙しい激務の合間を縫って、なんとバンコクに遊びに来てくれた。「日本に本帰国してからもやり合える選手を育て続け、彼らの熱く戦う試合に対して一喜一憂する」事を目的に指導する俺がスクール運営にも携わらなければならなくなってしまった絶妙なタイミングでね。
会う指導者×2に「いとたくは変わらなければいけない」と云われた。全所属スクールの上司にも、C級ライセンス受講時も現クラブ創設者にも…でも俺は不器用だから、それに熱いモノを熱苦しく伝える指導が本当に色々な人と議論をしてきたんだけど、このやり方が否定される意味が見いだせない。むしろ俺の個性なんじゃないかって思う。指導世代によって接し方は変えるけど、根本は熱さで良いんじゃないかと思うんだよね。その熱さを小川さんから俺は物凄く感じるんだよね。だから「自分の信じた道を進みたい」と毎度会う度にそう思わされる。今回の再会でもそう感じたね。
小川さんと俺がタイに来る切っ掛けを作ってくれた後輩の試合を観戦した。規模は1万3千人とさほど大きくはないSCGスタジアム。しかしこのサッカー専用スタジアムで繰り広げられた熱戦に触れ、今後の活動のヒント…そして閃きを持ってタイを後に出来たという小川さん。俺も6月に色々とバンコクサッカー界へいくつか仕掛ける準備をしていた今日この頃、日タイで刺激し合いながら活動していけたらなんて思います。まぁ立場や影響力が違うんでね、生意気かもしれないんだけどね。
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