2014年7月28日掲載
サッカー指導をバンコクで始めたばかりの1年半前、試合に帯同していなかった俺は教え子達のフットサルの試合で驚くべき結果を伝えられた。”1-28”…Jr.ユース世代のタイ代表選手を輩出する名門クラブ相手、しかも中学生年代はタイのチームに勝てないと聞かされていたのだが、まさかここまでの差があるとは思わなかった。
「身体の大きさが違い股関節が柔らかい、バネがあり個人技に長けたタイ人には学年が上がると勝てなくなってくる。やっぱり何年かして日本に帰ってしまうこともあり、毎日何年も同じメンバーで練習をやれている(タイの)チームには勝てなくなるよね」とバンコクでサッカーを指導する方々に会って話を聞くとみんながみんなこのような答えをされた。INFINITOでコーチをしていくにあたり出会った当時中学1年生の選手達、実際彼らは”負け慣れ”ていて試合をする度に「悔しくねぇのかよ」とイライラさせられていた。
“勝てない原因が分かっているんでしょ!? 何でそこに挑んでいかないんだよ”…バンコクで大した経歴が無い指導者が名を残していくため、そしてここで結果を残せなかったら”選手でも指導者でもタイで失敗した”と後ろ指をさされながら帰国せざる終えないという状況に打ち勝つため、俺は中学生をINFINITOのトップチームとして据え、強くなることでINFINITOに在籍する幼稚園から小学生までの選手達が憧れる存在に育てる決意をした。
土曜日1日練習のみ、後は日曜日の試合というのが当時の中学生のサッカースケジュール。折角試合で見えた課題をそのまま一週間持ち越して、また試合を迎える。これでは進歩が無いと感じ当たり前の事だけどとにかく毎日ボールを蹴る環境を用意することに着手した。しかしここはバンコク、大都会であり外国である。市街のグランドは限られ移動手段は送迎バス、サッカーは数あるお稽古事の1つと捕らえられているようで塾や他の習い事の関係で毎日は練習に出せないという事情。そこで水曜日の夜に練習日を設け、木曜日の夜は”上手くなりたい”という選手数名を大人のクラブチームへ連れて行くことから始めた。
永く選手を続けたことで色々な監督と巡り合えたのが俺にとっての財産となった。現なでしこ監督や元韓国&オーストラリア代表監督のオランダ人、選手時代元日本代表と色々なタイプの監督に触れられたことで数多くの練習メニューをこなして来た。そこに自分の考えを加えてアレンジした練習メニューで「死ぬ~っ」なんて叫ぶ選手達に「死ぬ気でやったって、死なねぇから…」とケツを叩き続けた。勝ち方を知らない選手達に「日系チームでNo.1の座に君臨し続ける。そしてタイの強豪チームの仲間入りをするんだ」と熱く…熱苦しくね。
冒頭の大敗したチーム”ASCOT”とはフットサルのリーグ戦で何度か戦うことが出来ていたから、そこでこのチームとの距離を測ることが出来た。”2-16”、”1-14”そして”3-9”…確実な進歩である。
バンコクには数ある大会が存在するも、その殆どがフットサル大会。そこで日本へ帰国する仲間が多い3月と7月に中学生が目指すべき大会としてU-15 INFINITO CUPを立ち上げた。”沢山の人達が観守る中でプレーさせたい”と日系のチームを多く招待すると共にASCOTにも出てもらえることになった。今年3月に行った第1回大会では準決勝でASCOTに”0-1”で惜敗、「必ず俺達が最初にこいつらを倒すんだ」とみんなで涙したものだ。しかしこの夢はこの大会の決勝にて叶わぬものとなる。ASCOTはBSSという日系の古豪チームに”0-1”で敗れてしまったのだ。
BSSはバンコクで1番大きな日系のチーム。大会や練習試合で何度も何度も弾き返されてきたチーム。「(BSSの)中心選手が日本に帰る前に必ず叩くぞ」と勝手にライバル視をしてきた…しかし悲しいかな正直一度も勝ったことが無かった。”INFINITOはここ1年で相当強くなった”と狭いバンコクで噂されるようにはなっていたが、No.1では無かったんだよね。
大会に向け”しっかりと守ってからドンドンと仕掛けるサッカー”に”ボールも人も良く動くサッカー”をチームに投入、これが思いの他上手く嵌り、選手達も実感出来たようだ。7月26日が非常に待ち遠しく感じた。
大会当日、選手達を集め「もぅ銀メダルは要らないでしょ、テッペンに立とうぜ」と送り出した。予選は3試合、2勝1分でしっかり結果を出し1位で突破した。そして準決勝、相手はBSSである。「このチームを叩かなければこの大会でもこのチームでも先に進めない。今日ここで越えていこうぜ」…このメッセージを伝え終える前にグッと来てしまい、俺は涙声となってしまったのは想定外であったが。ここで選手達は”3-2”としっかりと打合いを制してみせた。
いよいよ決勝、相手はASCOTである。「最高の舞台で最高の相手と戦う権利を勝ち取った。もう2位はいらねぇ、しっかりと優勝してこい」俺、再度の涙声である。試合開始早々、FKを与えてしまう。そこで壁の準備をしている選手達に「狙っているぞっ」と声を掛けるも遅かった。”コロコロッ”とゴール左隅に流し込まれたボール、何度も何度も相手ゴールに迫ったが、結局これが決勝点となってしまった。
閉会式を見ていて、”ハイレベルだし大会を新設して良かった”と思った気持ちが段々と”まだまだ優勝には早いんだ”と教えられたのかなって…何とも言えない気持ちとなったね。”見てろよ、ASCOT”、本当の強さを手に入れるため、また選手達と歩んで行こうと決意させられた大会となった。
このU-15 INFINITO CUPに実は2チームエントリーしていた。もう1つのチームで起こったことは次回のコラムで書こうと思う。更にこのINFINITO CUP、来週8月2日(土)には第1回目となる小学生大会が開催される。選手達には”(優勝を)狙いに行く大会”と伝え結果を求めている。選手達それぞれの思いをバンコクのピッチ上で如何に表現してくれるのか、非常に楽しみである。
伊藤琢矢(いとたく)
アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
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