2013年12月4日掲載
INFINITOが週末の練習やクリニックで使用しているグランドで、国内最大級の大会が開かれるとタイ人スタッフから教えて貰った。タイ国内大手会社のシンハーが主催する大会で、予選を勝ち抜くと来年1月の全国大会への出場権を獲得するという。こんなスケールのデカい大会、出るに越したことは無いでしょう!!…ということで、出場することにした。
カテゴリーはU-11とU-9の2カテゴリー。何と大会前に“年齢確認”のためパスポートのコピーを、そして“大会登録”のため顔写真の提示を求められた。タイ人は全国民に対し番号を振り分けたIDカードというものを持つ。我ら外国人はIDカードの代わりにパスポートを“年齢確認”のためだけに提示をするということだ。試合当日はパスポートの原本の提示を毎試合前に求められたし、そこら辺はタイらしからぬ徹底ぶりで少し驚いた。
しかし…やっぱりタイの大会だよね、当日にならないと出場チーム数が分からないし、8時に集合して抽選を行い組み合わせを決めて行くというのだ。試合時間は10分で7人制サッカーという事以外は詳細等レギュレーションがある訳でもなく、何も聞かされていなかった。
「4チームによる予選を行い、1位のみ予選突破…ベスト8進出」と大会当日の会場にて知らされた。どうやら強豪ひしめくグループに入ったようだ…という事は聞かされたが、キックオフ時間や使用グランドについては分からなかった。
「ねぇコーチ、いつ試合!?」「相手って何処、強いの!?」「コーチ、ご飯食べて良い!?」いつ始まるか分からない試合、しかもスケジュールが押しに押しているという事だったので、選手達の我慢は限界に達していた。選手達も試合に気持ちを持って行き辛い環境だったよね、U-11は残念ながら2分け1敗で予選敗退。しかしU-9は何度も本大会出場経験を持つチームからしっかりと勝ち点3を奪って堂々と予選突破を果たした。
7人制サッカーはオフサイドというものが無い。だから大概のチームが守備に人数を掛けて、攻め残っているFWに向けて蹴り込む戦術を取っていて正直がっかりした。手前味噌な訳では無いけれど、しっかり繋ぎつつ相手陣内に入ったら果敢に仕掛けるINFINITOのサッカーが、正直一番良いサッカーをしているのではないかと思えた。
朝8時から会場入りしていた訳であるが、当日予選が全て終了したのが17時過ぎであった。そこから準々決勝&準決&決勝を行うという…もぅ俺はクタクタであった。が、大会を通して成長をしていた選手達のサッカーが優勝に値すると予選を通じて感じたし、準々決勝の抽選が始まる頃には“全国大会に出ようぜっ”と選手達と共に本気でタイトルを狙っていた。
準々決勝が始まって驚いた。見ているタイ人の観衆は皆相手方の…タイ人チームの応援。そう、完全に会場がアウェイ状態となっていた。INFINITOが相手ゴールへ迫るとシーンとするし、タイ人チームがINFINITO陣内に入ろうものなら大歓声が贈られていた。「こいつらを黙らせてやれ!!」…勝つんだという気持ちを前面に出して戦う選手達が凄ぇ格好良く感じたし、勝たせてやりたいと心底思った。
何度も何度も相手ゴールへ迫るも決めきれず、勝負はPK戦へと突入した。ベンチでは全員で肩を組んで一緒に戦った。何度も試合を決めるチャンスを決めきれなかった。会場は「マイカウ×2(外せ×2)」の大合唱に包まれた。結局サドンデスまで持ち込まれた大接戦は7人目の相手キッカーにネットを揺らされINFINITOは準々決勝で涙をのんだ。
「悔しいよな…この悔しさは決して忘れるな!! この悔しさを胸に沢山沢山練習して、必ずリベンジに来よう。そして次回は大勢のタイ人の目の前でトロフィーを掲げてやろうぜっ」悔し涙を流す選手達の目を明日(未来)に向ける為に言葉を投げ掛けてやったのだけれど、そんな俺も必死に涙を堪えていた。
凄ぇ格好良かったし…勝たせてあげたかった。選手達は本当に良く戦ってくれた。この大会を通じて選手達も去ることながら、俺自身も多くの事を学ばせて貰った…そんな“Singha Junior Cup”であった。
伊藤琢矢(いとたく)
アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
Regista in Thailand