2013年10月8日 掲載
念願のJリーガーとなった2010年、しかしシーズンに入る前のオフに足首をオペしていた俺にチーム内での居場所は無かった。目標としていたJでの舞台、チーム内で俺と同ポジションでピッチに立ち続けたのはSatoshiであった。華やかな世界での活躍を夢見ていた俺は、彼の活躍を見ながら“何やってんだ、俺…”と悔 しい現実に直面し続けた2010年のシーズンであった。
2011年、俺はタイでプレーする道を選んだ。その2年後の今年、Satoshiはタイへやってきた。何度か「タイでプレーすること」について相談を受けたが、「サッカーで請われて海外(タイ)に出れるチャンスがある選手は、そう居ないのでは…!?」という結論のもと、彼はタイ移籍を決断したようだ。
岡山での選手時代に同世代のサポーターから云われたことがある。「若いチームの中で唯一のベテラン選手。同世代の俺達は、ピッチで躍動する伊藤選手に自分の姿を反映して、自分の夢を託して共に戦っているんですよ」と。俺はこの言葉を聞いて、プロとは何たるかを再自覚…毎試合持てる力を全て出し切って自分だけでなくサポーターにも“伊藤は良かった”と満足してもらえるようにプレーすることを誓った。
9月下旬、久しぶりにスタジアムに足を運んだ。お目当てはSatoshiである。改めて観客席から見るSatoshiは、今の俺にはどのように映るのか楽しみであった。形的には自分から引退の道を選んだのだけれど、やっぱり…未だにこころの何処かでまだやりたかったという未練がある事はあった。でもね、彼の戦う姿を眺めながら…今からどんなに頑張っても、どんなに努力しても戻れない場所なんだなぁと感じた。それ程までに身体を貼っているし、全てを掛けてフィールドで戦っているんだよね。月並みな言葉だけど、凄ぇ格好良く見えたね。
異国の地で受け入れられない文化の違いもあるであろう。言葉の壁も当然存在する。そこでチームの中心として結果を出し続けている…大変な偉業である。「コーチはナコンラチャシマの5番、センターバックの長野 聡と元チームメイトだったんだぜっ」一緒に観戦に訪れた教え子達に誇らしげに自慢をしてしまった(笑)。
ある番組で元横綱曙氏の特集を見ていた時、彼は「引退とは形だけのもの。人生の中でどんな形であれ戦い続けていたい」という熱いメッセージを発していた。俺もそうありたいね、バンコクのちっぽけなフィールドでの教え子達の戦いでも全力で選手達には戦わせ、チームを熱い気持ちを持って指揮して行き、勝利を掛けて一喜一憂する。これが今の俺の戦い。そしていつか…教え子がタイのチームであれJの舞台であれ…そして世界の舞台でプレーする選手をバンコクから必ず育ててやると俺は誓う。Satoshiみたいな熱い選手をね…。
伊藤琢矢(いとたく)
アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
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