2013年6月19日 掲載
長年サッカーをやって来たけど、俺って背番号への拘りって全くもって無い。佐川東京時代に”16”から”5”に打診された時に嫌がった程度。俺はボールタッチがハッキリ言って硬い。だから”偶数の方が柔らそうじゃねぇ!?”という考えだったんだけど、敢え無く却下。背番号を”5”にされてしまったという。
そこからFagiano岡山では”4”、Giravanz北九州では”3”、タイのRajprachaでは”2”と確実に数を減らし…現在所属するアマチュアチームでは、その反動なのであろうか”74”を着けている(これは単に1974年生まれだからという理由)。
自身の引退試合の時は”3”を着けた。Giravanz北九州時代に友人から吏臣に日本代表のユニホームをプレゼントされた時、背中にRion 3と入れてくれた。吏臣のサッカーウェアが、タイに持って来ている物がそれしかなく、「んじゃあ”3”着けよ~ぉ」と…適当でしょう!?
Rajprachaの時は、最初の練習時に「好きな番号を選べ」と言われた。その時にリストを見たら、結構若い番号が空いていたんだよね。だから、着けた事が無い番号という事で”7”とチョイスした。ちなみに1月のトライアルの時とかは、(ギャグで)”10”なんてのを着けていた。「CB(センターバック)で”10”番って格好良くねぇ」的なノリでね。
俺は”7”という番号、正直楽しみにしていた。だけど先に配られた練習着のサイズが明らかに間違っていた。「んだよっ」と半分キレつつスタッフに「小さいんだけど…」と言ったら、「はぁ、じゃあ”2”にすれば~っ」と謝りもせずに適当にあしらわれた。「んだよ、気分はもぅ”7”だったのに…」と、渋々”2”と交換しに行ったら「あれっ!? ”2”も小さい」。そしたら「じゃあ”2”と”7”で”27”で良いでしょ!?」だって、「何やねん、この適当さ加減はぁ!?」てね。
公式戦のユニホームは当日に配られた。あれっ!?背番号”2”にITOって入ってる。「なんだぁ、結局”2”だったんだぁ」と…あなたには拘りの背番号ってありますか!?
アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
Regista in Thailand