2013年3月25日 掲載
2月23日(土)、TPLに所属するOSOTAPA M150 のSARABURIスタジアムで“チャリティーサッカークリニック”が開催された。元々2011年のタイ大洪水時にこのクラブに所属する片野寛理選手と「東日本大震災&大津波」時に真っ先に支援の手を挙げてくれたタイの人達に恩返しがしたいとRegistaの義援“Prayer” T-shirtの販売協力という形で携わったもの。とはいえ俺は選手を引退している立場、現役選手達と触れ合う方が子ども達にとって良かろうと思ったのだけれど、Rajprachaの選手時代に自分に協力してくれた方々が義援協力をしてくれた事もあり、参加する義務があると参加する事にした。
今回のクリニックにはサラブリ県内から小学生から高校生まで約100名が参加、その子ども達が所属する学校やサッカースクールにサッカーボールを寄贈した。片野選手の呼びかけに同チームに所属する日本人選手、山本寛幸・橋本 卓両選手をはじめ沢山の選手・チームスタッフが集まり子ども達への指導にあたった。
とはいえタイなんですねぇ、事前に打合せ無しで指導にあたる選手やスタッフが適当に各セクションに振り分けられて「ここはシュート担当・ここはドリブル担当」と…俺が受け持ったセクションは何と「ヘディング」。最初は10分程度で5セクション各グループが練習して最後は選手達とわいわいゲームするのかなぁと思っていた。しかし、担当グループの指導時間が長い×2。結局2時間集まってくれた約100人の選手達にグループを変え替えず~っとヘディングを教えるハメになってしまった(流石にキツかった)。
でもね、クリニックが終わって選手達と交流が出来る僅かな時間でも子ども達は笑顔で話し掛けたり写真を撮っているんだよね。しかも引退した俺なんかとも写真撮りに来たりちょっかい出しに来たり、正直嬉しかったね。残りの義援金は片野選手がチームと話し合いながら被災した子ども達の為に使用していく予定。俺も出来る限り参加していこうと思う。
最後にこの活動に協力いただいた皆様、資金を義援活動(クリニック開催・サッカーボール贈呈)という形にするのに時間が掛かってしまいましたが、このような活動を通して被災した子ども達に還元していこうと思っています。ご協力有難うございました、引き続きこの活動は何らかの形で必ず報告させていただきます。 伊藤 琢矢
アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
Regista in Thailand