2012年7月18日 掲載
2011年8月下旬の朝、腹痛はいきなり襲ってきた。家内には「あんな表情を初めて見た」と云われた。運ばれた先はRama 9病院、先生は「原因が分かるまでは点滴(痛み止め)は打てない」と云う。しかし痛みで検尿にも行けない状態、どんな体勢を取っても痛みが和らがないまさに地獄のような状態が続いた。
原因は”腸に出来た6ミリの石”だという。”排尿と共に(石を)出す”事は出来るみたいなのだが、最悪の場合は”簡単なオペで(石を)取り除く”という。ひたすら水を毎日大量に飲むしかない…最悪の場合のオペ費用、病院に提示された額は”出産費用”を超えていた。
10月頭に再び激痛が襲う。練習に向かうバスに乗り込んでから徐々に痛み出してきて、”痛み止め”を飲み…「何とか練習場に行けば、チームに治療費を負担してもらえるだろう」と淡い考えと共に、冷房の効いた車内で汗だくになりながら何とか練習場に倒れ込んだ。チームスタッフと共にクリニックへ、しかしこのスタッフ英語が話せない。”石”というタイ語を知らなかった自分は症状を上手く伝える事が出来ず、お尻に注射をされた後に出された薬は”食あたり”の物。原因は”唐辛子の食べ過ぎ”だという…嘘でしょう!?
その後、石が出た気配は無く排尿をする時には激痛&残尿感が…チームには入院費が払えないから「何とかならないか!?」と必要に訴え続けて来たが空返事ばかり。石が出来た原因は多分幾度となく見舞われたタイでのトラブルによるストレスだと思うのだが、”女は陣痛、男は石”と言われる位激痛を伴う。もう2度とあの痛みは味わいたくない!!と思っていた矢先、家内とサイアムに買い物に行く途中に激痛に襲われた。とりあえずトイレに駆け込み痛みが消えるまでと思っていたのだが、1時間程トイレで格闘した後どうしようも無くなりタクシーで病院へ。病院に到着直後、痛み苦しむ自分に通訳さんは「あらぁ、伊藤さん…何食べちゃいましたかぁ(笑)」。先生曰く「(手術の)時は来た!!」と入院を勧められるもチームを信じて強制自主退院。
血尿していたし残尿感は残っていたが、痛みは出なかったので練習や試合には出続けていた。しかし4度目に倒れた時にやっとチームが動いた。チームに指定されたのは何とローカルな船で行く病院。そこで何度か試合で見かけていた強面のタイ人と再会「あなた、チームドクターだったのですね!?」。その方に「今まで検査を受けた資料を(以前受診した病院から)持ってこい」という。”事前に言っておいてくれたら持ってきた”のにと思いつつ、その日は船で帰路についた。
一日でも早く健康を取り戻したい自分は、早速次の日に資料を持ってチーム指定の病院へ。そしたら何とその方”毎週火曜日”しか病院に来られないという。仕方が無い、泣く泣く一週間待って病院へ。そしたら「これを専門家に見せるから…」、郵送やメールでやり取り出来たのではと思いながら船にも大分慣れてきた自分がいた。
昨年は洪水の影響もあり、シーズンが年内に終わらなかった。クリスマスや正月も返上状態、週に2~3試合を行うという超ハードスケジュール、自分自身”石”の事など忘れてしまっていた。
正月明けの試合、0-0と緊迫した試合のハーフタイム。あまり上手く連携が出来ていなかったので、ゴールキーパーとディフェンダー陣を集めて、戦術の再確認を行っていた。するとその選手控室にチームドクターがひょっこり現れて、自分に一言「伊藤、お前の石は小さいものだから…オシッコと一緒に出るみたいだから大丈夫だっ!!」…と右手をGOODして去って行った。何も今言わなくても…。
結局それ以来痛みは出ていない、何時(石が)出たのか分からないまま現在に至っている…。
伊藤琢矢(いとたく)
アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
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