2013年1月21日 掲載
選手時代伊藤家の中にはルールがあった。それは”家族と一緒の挑戦”という事。だから岡山、北九州、そして当然タイにも単身という形を取らずに共に引越し、生活をしてきた。ちなみに伊藤家は豊島区に中古の持ち家があり、妃良梨(娘・キラリ)が生まれるタイミングに合わせて大々的なリホームを結構な金額を掛けて施工したんだけど…その時期に岡山に移籍したので一度も住んだ事が無いという。
僕は試合時にいつも自分の子ども達と共に入場していた。初めの動機は”憧れていたから”…でも岡山のレプリカユニホームを着た妃良梨を試合前に抱っこして入場を繰り返す事で、家族に対する責任みたいなものを感じるようになっていた。
吏臣(息子・リオン)が生まれた時は北九州に移籍していた。息子が生まれた時は”記憶に残る位までは選手として頑張りたい”と…”Jで2人の子供達と入場する”という夢は果たせなかったけど、でもタイでの試合入場を経験するなんてなかなか無いでしょ。
北九州を戦力外になった時に、家族で新天地に引越しをするために北九州の幼稚園を辞めなければいけない事を妃良梨にちゃんと説明した。「たっくん(伊藤家は自分の事をこう呼んでいる)のお仕事の関係で、引越しをするから新しい幼稚園に行かなければならなくなったんだよ」と…。そしたら妃良梨は”たっくんのせいで幼稚園を辞めなければならなくなった”と理解したみたいで、2~3日口を聞いて貰えなかった(この時は相当辛かったね)。
妃良梨は”毎週お休みの日にサッカーの試合に繰り出されなければならない”という認識を持ってしまったみたいで、今はサッカーが嫌いになったようだ。でも吏臣は、自分が引退した後にTPL(タイプレミアリーグ)を観戦に訪れた際に試合を観ながらボソッと「吏臣、お兄ちゃんになったらここ(スタジアム)でアッカー(サッカー)するんだっ」と言ってくれた、これには正直感動させられたね。
ちなみに前述の北九州の幼稚園入園の時に園長先生との面接の際「将来の夢は!?」と聞かれた妃良梨は「白菜」と真面目に答えていたっけ。そして吏臣である、ラーメン好きの彼は「将来ラーメン屋さんの店員になる」といつの間にか夢が変わっていた。仕方が無い、未来のサッカー選手はバンコクの子供達に託して指導をしていこうかなっ!?
伊藤琢矢(いとたく)
アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
Regista in Thailand