2012年12月9日 掲載
タイでの選手時代、練習のために毎日バンコクの自宅から2時間半掛けて、マヒドン大学の校舎内にあるスタジアムに通っていた。基本的にタイ人の選手やコーチに「車に乗せてって…」と頼んでも、待ち合わせ時間に30分以上平気で遅れてきたり、遅れた挙句に「今日練習行かないから」とメッセージが着たり、帰りは自主練習したいのに「もぅ帰るぞっ」なんて待たせてしまったりでストレスだったので、地図を買ったり行き先をタイ語で書いてもらったりしてバスを乗りこなせる様にした。
今考えると大変だったね、地下鉄からスカイトレインに乗り継ぎビクトリーモニュメントへ。一時僕は地下鉄とスカイトレインとバスの定期券其々の物を所有していた。そんな日本人なかなかいないでしょ!?ここビクトリーモニュメントのバスターミナルは大概のバスが集まるところ。ここから目的地まで1時間半、車内で立っている訳には行かないから、お目当てのバス「515」が到着すると、降りる人が捌けるのを待ちつつ身体を入れ合いながら良いポジションを確保して、いざ誰よりも先に車内へ。大概一番前の席はお坊さんや女性や子供に譲らなければならないし後ろの方は2人掛け用の椅子なので、2~3番目の一人用の席を狙う。
ここからは独りの時間。車窓から景色を見たり雑誌を読んだり爆睡したり、時には食堂替わりとして昼食を持ち込んで食べたり…タイ語や英語の勉強も良くしたっけ。折角の時間だからと結構集中したおかげで、タイ文字が読めるようになったのはここでの勉強の成果。時々集金係りの人が、発音を教えてくれたりした。日本人が珍しかったのかなぁ、結構いろんな人が話しかけてきたりしたんだよね。冷房が凄く効いているので必ず羽織る物を持っていたっけ。帰り道では、練習で上手くいかなかった事を反省しながら自宅に着くまでにリセットする時間にもしたなぁ。
最近チームのトレーナーがFacebookにこの思い出のバスの写真を載せていて…”選手としてはタイサッカーは苦労した思い出しかないけど、このバスでの行き帰りの時間は…好きだったなぁ”と懐かし思い出が脳裏を過ぎった。
「何か”いとたく”はタイに来てのんびりした性格になったよね」と日本から遊びに来た知人に言われた。「嘘っ、日々上手く事が運ばずにキレまくってるけど…」と答えたんだけど…「515」での時間がそうさせてくれたのかなぁ。ただの路線バスだけど…僕にとっては色んな事がやれたし成長もさせてくれた学校的存在だったかな。
伊藤琢矢(いとたく)
アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
Regista in Thailand