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2025年4月のタニヤ通り
バンコクの中心部、シーロム通りとスラウォン通りの間に存在する、全長約200数十メートルの短い通り──それが「タニヤ通り」です。昼間はオフィス街の一角に過ぎないこの場所も、日が沈むと日本語の看板が灯り、かつての“昭和”を思わせる雰囲気に包まれます。
タニヤ通りの発展の起点は1970年に遡ります。この年、タイ人医師夫妻であるプラサート・ソンブンタム(ประเสริฐ สมบุญธรรม)とヤダー・ソンブンタム(ญดา สมบุญธรรม)は、それまでにも外国人向け賃貸アパートの建設を手掛けており、タニヤ通り周辺の土地収集を本格化させるチャンスを得ました。夫妻は住友不動産に対して、シーロム通りでの不動産開発を提案し、合弁により1970年に「タニヤビル(อาคารธนิยะ)」がオープンします。
このビルは、住友グループのオフィスとして使用され、残りのフロアは貸事務所として活用されました。日系企業が次々に入居し、周辺には日本人駐在員向けの商業施設が増加。その結果、このエリアは次第に日本人街として発展していくのです。
なお、ビルの名称は夫妻の長男「タニヤ(ธนิยะ)」に由来しており、やがてこのビルがある通り自体も「タニヤ通り」と呼ばれるようになりました。
実はそれ以前、夫妻がこの土地を購入した背景には、外国大使館が集まるエリアであることが影響していたと伝えられています。
ちなみに近隣のパッポン通り(ถนนพัฒน์พงศ์)は1960年代から、アメリカ軍兵士のR&R(休養と慰安)の場所として急速に発展を遂げます。その後、バンコクのナイトライフの中心地として繁栄し、冷戦時代にはCIAの秘密作戦拠点として利用されていたとも言われています。このような国際的な背景の中、このエリアでは外交官や情報関係者が集い、非公式な夜の会談が行われていたのかもしれません。
やがて、ソンブンタム家は住友側の持分を買い取り、1989年には「タニヤプラザ(ธนิยะพลาซ่า)」として再開発されました。この複合施設はBTSサラデーン駅に直結し、日本人ビジネスマンにとっての利便性を維持しつつ、ゴルフ用品モールとしても名を馳せました。
そんなタニヤ通りを歩いたのが2025年4月のはじめ。コロナ前ほどの賑わいはないようですが、通りの脇は多くのカラオケ嬢たちが客を待ち、盛んに呼び込みも行われていました。「そこそこ活気があるのかな?」という印象で、タイに住んでいる方、そしてタイ旅行でバンコクを訪れた方は、食事がてらにタニヤ通りを通るのも楽しいかもしれませんね。もちろんその後にカラオケ店に消えるのも自由です・・・。
2025年4月のタニヤ通り
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