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バンコクの夜、ひときわ眩いネオンが灯るパッポン通り。シーロム通りとスラウォン通りとを繋ぐパッポン通りは、多くの外国人観光客や在住者が訪れる、刺激的なエンターテイメント地区として知られています。しかし、その賑やかな光景の裏側には、時代の変遷と共に変化してきた、複雑な歴史が隠されています。
パッポン通りの名は、この土地を所有していたパッポンパニッチ家に由来します。1946年、中国の海南島から移住したルアン・パッポンパニッチがこの土地を購入しました。当時、そこは未開発の土地であり、小さな運河とチーク材の家があるだけの、静かな場所だったといいます。その後、パッポンパニッチ家は土地の開発を進め、現在のパッポン1通りとなる道路と店舗を建設し、賃貸を開始しました。後にパッポン2通りも建設されました。これらの通りは公道ではなく、パッポンパニッチ家が所有する私道なのです。
パッポン通りの歴史が大きく動いたのは、ベトナム戦争の時代でした。1960年代後半、アメリカ軍兵士のR&R(休養と慰安)の場所として、パッポン通りは急速に発展を遂げます。この時期に、ゴーゴーバーなどの娯楽施設が次々と誕生し、外国人向けの歓楽街としての礎が築かれました。また、冷戦時代には、パッポン通りはCIAの秘密作戦拠点としても使用されていたという歴史も持ち合わせています。
1970年代から1980年代にかけて、パッポン通りはバンコクにおけるナイトライフの中心地として繁栄しました。しかし、1990年代初頭、パッポンパニッチ家がパッポン1通りの歩道をナイトマーケットとして貸し出したことをきっかけに、パッポン通りの性質は大きく変化することとなります。ナイトマーケットの出現は、歓楽街としての活気を薄れさせ、観光客向けのショッピングエリアとしての側面を強めることとなりました。
2025年4月はじめ、久々にパッポン通りを訪れると、そこは以前とは違う、ちょっと淋しげな風景が待っていました。
「かつての繁栄はどこに?」と思えるほど人通りは少なく、活気は感じられません。今どきは外国人旅行者が気軽に訪れることのできる大型のナイトマーケットが増え、それを目的とする人々はパッポン通りから離れていっているのでしょうか。通りを歩けば人にぶつかるかのような以前の状況はありません。
また、パッポン通りを訪れたのが午後9時前くらいで、まだ時間が早かったのかもしれませんが、ゴーゴーバーの店内を覗いても、客席に数人の客しかおらず、ダンサーも手持ち無沙汰な様子で淋しい状況でした。もっと深い時間になれば、多くの人で賑わうのでしょうか?
ちなみに屋台では昔も今もコピー製品が売られているのは変わらず・・・。
現在のパッポン通りは、お土産など商品を販売する屋台のエリアは半分ほどで、残りの半分は飲食のエリア。テーブルと飲食の屋台が並んでいます。
今どきのパッポン通りは、以前のようなショッピングやナイトライフを楽しむ場所というより、タイのローカルグルメを楽しむ様相の強い場所になっているようです。
パッポン2通りはこちら。
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