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2013年10月21日掲載 吉田彩緒莉
第26回東京国際映画祭 ワールド・フォーカス部門出展作品
「マリー・イズ・ハッピー(原題 MARY IS HAPPY, MARY IS HAPPY)」
脚本家としては「Bangkok Traffic Love Story(รถไฟฟ้า มาหานะเธอ)」など、タイの大ヒット作品を手掛けるナワポン・タムロンラタナリット氏。しかし映画監督としての彼は実験的な作品を送り出し、「36」は2012年釜山国際映画祭でニューカレント賞を獲得している。
「36」はフィルムの枚数をテーマにしているが、「マリー・イズ・ハッピー」のテーマはツイッター。
まさにひらめきの人、という感じで「ツイッターのテンポで映画が展開したら面白いと思った」という事がきっかけだったのだそう。
それも自らのフォロワーで、実在するマリーの400以上のツイート一言ひと言に「こんなことがあったのかも?」「こんな事だったら面白いかも」と架空のストーリーをつけながら制作していく、ユニークな手法で作られていて、監督自身「まるで見たこともないような生き物を制作している気分だった」と語る。
そんな「マリー・イズ・ハッピー」が東京国際映画祭ワールド・フォーカス部門に出展されたと聞きかけつけた。
綴られるツイッターの言葉は、現代のツールでありながら多感だった高校生の時代を懐かしむ人も多いかもしれない。
あの頃、どんなことを考え、何にぶつかり、何に気付かせられたのか・・・
人生の先には映画のような成功が潜んでいるのではないか、と期待しながら、結局人生なんてそんなに甘くないと気付かされ、大人になっていく。
多感なあの頃より、心は落ち着いていくが、多くの人は良いことより悪いことの方が、恍惚とした幸せ感に包まれる事よりは、平凡で淡々とした日々の方が多いだろう。
壁にぶつかる度、自分を納得させ、人は少しずつ変わっていく…人生はその繰り返しだ。
監督が自分のフォロワーである「マリー」のツイートの言葉をヒントに作り上げた世界は、卒業間際の女子高生「マリー」の数か月となった。
ツイートは本物、映画のマリーはファンタジーの世界の住民。本編では映画自体が「ノンフィクション」では当然ないながらも、「フィクション」ですらなく「ファンタジー」だと気付くまで、どこまでがリアルで、どこまでが空想なのか、かなり翻弄される。
しかし物語のすべてが「ファンタジー」であることに気が付くと、マリーが突然海外に行ってしまっても、すぐに帰ってきても、謎の人物も出てきても、シュールな演出にクスクスと笑うことができる。
卒業を控えた高校生マリーは、想像力豊かで、少々ダル目、自己中心的な少女。
同級生ながらお姉さんのような親友スリに甘え、頼り、助けられながら、ゆるゆるとした残りの学園生活を送っていた。
スリは留学も決まり、きちんと進路が決まっている。しかしマリーは進路も決まらず、日々の不満を自由に表現している。自分が寂しいという理由だけでスリに「どこにも行ってほしくない」と言うような、わがままは日常茶飯事だ。
卒業アルバムを作ることが二人の卒業までの課題となり、アートなもの作ろうとイメージだけは膨らませるマリー。山にこもってイメージを膨らませるつもりが、キノコ中毒になり救急車で運ばれたり、夕日の時間が美しい「マジックアワー」を待ち続け、写真が撮れなかったり、…更には大変な作業はスリに押し付けがち。スリは呆れながらでも彼女をフォローしていく。
そんなマリーに一つ目の変化が訪れる。
学校帰りにあるカノムトキョー(タイ菓子)の屋台で、偶然出会ったエム…彼女は彼に一目惚れ。もちろんマリーは卒業アルバム制作はますます手につかなくなる。そして、何でも相談に乗ってくれるスリへの相談も、急速に彼に対することばかりになっていく。
正直、友人の片思いの話は、「どうしよう」「どうしよう」と言われても、どうでもよく感じることも多い。スリのそっけない反応は、それを表しているのか?しかし実は、物語の後半で伏線であったことを衝撃の展開から知ることになる。
二つ目の変化は、校長が急死したことで、学校が全寮制になり、某国を思わせるような支配政権の学園生活を余儀なくされたこと。
しかし、ルームメイトはスリ。厳しい学園生活も、失恋も、スリが一緒ならならなんとか乗り越えられるのだが…あることをきっかけに、マリーは精神的にも学園生活にも追い詰められていく。
ファンタジーでありながら、リアルに感じるのは、出演者がタイにありがちな「タイのスーパースターである美形の男女が主演」という映画ではないこと。
主演のマリー役はキュートだが、タイにいる普通の女の子、という雰囲気。更に話し方や、リアクションも非常に自然で、まるで普通の女子高に紛れ込んだような錯覚を感じる。
実は主演のマリーと、親友スリは、ごく普通の女子高生で、演技は初体験なのだそう。
質疑応答時に「自然な演技はプロの俳優ではできない」と、監督が語っていたが、なるほど…名優ほど自然な演技ができる感覚の国とは、タイは異なるらしい。
もう一つ、そのリアルさに拍車をかけたのは、エンディング。
例えば実在の人物の話でも、映画ではドラマティックな演出がなされ、映画館に足を運べば「非日常」を感じられることが、映画を観る事の楽しみと言えるだろう。
しかし、映画のエンディングは驚くほど静かで、このままマリーの生活がたんたんと続いていくように感じられる。
思わず「マリー、人生って厳しいね。それでも日々は続いて行って、生きていかないといけないんだよ」 と話しかけたくなる。
人生は映画のようにドラマティックではなく、毎日、毎日、日々が流れていく。その中で驚くようなことがあれば、ショックもある。でも人はそれを乗り越えて、自身で何が良いのか、いけないのかをきちんと理解し、大人になっていかなければならないのだ。
ファンタジーでありながら、その区別がつかなくなるほどのリアルさは、日々を真面目に生きている人に、痛いほどわかるテーマが随所にあったからだろう。
淡々と流れる日常にインパクトを与えるのがそのテンポの良さ。映画は終始、マリーのツイートのテンポで場面が展開するので、スピード感がある。
監督はそんなツイッターのマリーには「制作のイメージが変わってしまいそう」という理由から、許可は得たものの、まだ会ったことがないのだそう。そして、タイ公開時に、本物のマリーを招待し、それが初対面になるので、監督自身がその日を楽しみにしているとのこと。
最後にぜひ注目してほしいと思ったのは脇役のキャラクターの濃さ。
救急隊員から、屋台のお兄さん、学校の先生、ケーキ屋のお兄さんまで、とにかく出てくるだけで「なんだ、こりゃ?」と思わず吹き出してしまうようなインパクトを与えてくれる。
「ただ者ではない」彼ら…その秘密は、この後の監督インタビューをお楽しみに。
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