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大久保 健一
田中れいな率いるラベンダーがタイで初めてライブをするということで、満を持して僕も応援するため訪タイした。
ライブの5日前からバンコクに乗り込んだが、会場周辺もまだまだ盛り上がっていなくて本当にライブがあるんかな?という感じで3日間を過ごした。1泊600バーツのホテルに滞在したが、値段の割にはエアポートリンクの駅の真ん前と立地も良く、部屋も広く過ごしやすかった。チェックイン時間にはこだわらずに朝5時から部屋に入れてくれたので、福岡空港から野宿していた身体をゆっくり休めることができた。100バーツで24時間WiFiが使えたので、背に腹は変えられずお金を払ってWiFiを使って今後の情報を集めていた。ライブ2日前になり、れいなのブログを見ると朝の更新で今からバンコクに出発ということで、イチかバチかでスワンナプーム空港へ向かい、れいなを出迎えてみることにした。
バンコクにはスワンナプームとドンムアンの二つの空港があるため、本当にこの空港に着くか分からないし、何時の便かどこのゲートかも分からず、ただ行ったのだ。到着のタイムテーブルを見ると、羽田からの便が午後に3便あったので、それをダメ元で待つことにした。2本目の便の到着時間にゲートに行くと、タイ人のファンたちが10人位集っていてラベンダーの横断幕を柵に貼り出したので、すぐに近寄って聞いたら、彼らは日本語で出て来る場所を教えてくれた。到着口で待っていると、さり気なくラベンダーのメンバーが現れた。出迎えに来ていたタイ側の主催者がメンバーに花束を渡し記念撮影を終えると、僕のすぐ横をメンバーが歩いて行ったので、慌てて「れいなー!!」と叫んだのだった。れいながそれに気付いてくれて、手を振りながら僕の真横を通り過ぎて行った。心臓が飛び出るほどバクバクした感じだ。こんな胸のトキメキは、握手会では味わえない私的なれいなに手を振られているみたいで、バンコクまで来た甲斐があった。本当に認識されていたのは嬉しい限りだ。タイのファンたちの声援にも応えた後、送迎車にメンバーが乗り込む時に、いつも顔を合わせているマネージャーに僕の手紙を「タイでも頑張って下さい!」と言って渡した。そして車に手を振って見送ったのだった。イチかバチかで空港まで来て出会えて良かった。そんな興奮を胸にオタク魂が高まっていった。次の金曜日は取材などでメンバーとは会えず、僕はおいしいものを食べて英気を蓄えた。
いよいよ8月30日、ジャパンフェスタ当日となった。前日から宿泊先をイベント会場から5分の五つ星ホテルに移した。プールやスパもあってキングベッドなのに1500バーツだった。バスタブから敷居を開けると、バンコクの夜景が見える。ウェルカムドリンクも飲み放題だった。日本ではこんな豪華なホテルは泊まれないが、ラベンダーのためにバンコクに来たので、すぐに会場に行けるホテルを探したらここになった。だからイベント前後の3泊だけした。
万全の態勢でライブ会場へ朝から場所取りをしに行ったが、日本とタイのファン10人ぐらいしかいなくて余裕で最前列を陣取った。場所はデパートが立ち並ぶ地域で、伊勢丹の前が大きな広場になっていて、全長1キロぐらいの広い会場の中に野外ステージのコーナーがあり、そこに自由に入れて場所が取れたのだ。他のコーナーは日本食の屋台やバンコク市内の大学の日本語サークルのブースが並んでいたり、日本のファッションを発信するファッションショーのステージがあったりした。フードコーナーでは大阪のたこ焼きや北海道の花畑牧場も出店していた。
午前10時になりステージプログラムが始まった。最初に学生たちが日本風に円陣を組んでの気合い入れを大学ごと行っていた。みんなはっぴ(法被)を着て、日本ぽい楽器を使ったり踊ったりと、気合い入れのやり方がそれぞれ独特だった。気合い入れが終わった学生たちはそれぞれのブースに戻り、それぞれの持ち場について行った。次のプログラムまでしばらく時間があった。僕はグッズ売り場に行き、ラベンダーとなっちのグッズは日本と同じだったので敢えて買わなかったが、ひとつだけジャパンフェスタ用のTシャツが売られていたのでそれをすかさず買った。これはここまで来ないと買えないのでいい記念になった。大学のブースなどでは日本の縁日をまねしたゲームなどをやっていた。
ステージの前を陣取っているラベンダーのファンたちは大きな横断幕にみんなで寄せ書きをしていた。彼らのTシャツもタイバージョンのものを自分たちで手作りで作っていて、気合いの入り様が日本のファンより熱かった。15時にラベンダーが出てくるまでの間、タイ人のファンたちがハロプロのダンスをカバーして、色んな曲を踊ってくれたが、それぞれ本格的で本家と劣らないパフォーマンスだった。衣装も手作りで真似して作っていたが本家とそっくりだった。ハロプロ以外に韓流アイドルやAKBなどもあったがハロプロが8割を占めていた。タイではハロプロが主流ということを痛感した。ちなみに歌はクチパクでダンスをカバーしていた。だから、本番までの4時間もオタゲイをしながら、楽しく過ごせた。そして14時ごろからはオープニングセレモニーが行われ、スポンサー企業の社長さん達や日本大使館の人も来て、華々しくオープニングを祝った。今回は10周年記念ということで今までの映像がダイジェストで映ったが、過去5回くらいハロプロのゲストだったので、改めてハロプロとジャパンフェスタの縁の深さが分かった。そんなイベントに参加できて心から光栄に思えた。セレモニーも終わり、さっきまでガラガラだった会場もいっぱいになって来てボルテージが上がってきた。ラベンダーはバンドなのでギターやドラムセットするのにすごく時間がかかった。タイ人のスタッフは慣れてないみたいだったが、やっとチューニングも終わってラベンダーのトークを待ったのだった。
ラベンダーとして初めてれいながバンコクの舞台に登場した。やはりモー娘。はみんなに知られているので、タイ人の皆さんはすごい盛り上がりだった。オリジナル曲よりは、やはりモー娘。の「セクシーボーイ」がみんな飛び跳ねてすごい盛り上がりだった。れいなをはじめ、ラベンダーの歌声がバンコクの真ん中で響き渡ったのは夢のような時間だった。ラベンダーやれいなを知らないファンの人たちも集ってきてくれた。これで「タイでラベンダーここにあり」という事を印象付けられただろう。それと日本と違ってライブの撮影が自由なので応援しながらデジカメで撮ろうとするが、緊張のあまり手が震えてしまってなかなか撮影できずにいたら、後ろのタイ人のおじさんが突然カメラを持ってくれ10枚以上ラベンダーのメンバーを写してくれた。後で写真を見てみると、メンバーがアップで写っていてありがたい限りだ。こんな気が利いたハプニングは日本では考えられない。撮影も終わり安心して応援に集中した。ステージではハロプロのカバーダンスで選ばれたグループのメンバー達が、ラベンダーとモー娘。の歌を共演した。練習を積んだ完璧なカバーダンスとれいなとの共演は素晴らしく、僕をはじめ会場全体がすごく盛り上がったのだった。夢の時間はあっという間に過ぎ1時間のライブも惜しみない声援のもとに終わったのだった。
興奮冷めやらぬ状態で、何とか会場を出るメンバーにお礼を言って見送ろうと、楽屋口に慌てて向かった。早道だと階段があるので避け、車道を通る遠回りをして何とか楽屋口に行けた。屋外の特設ステージなので、ベニヤ板の簡単な楽屋からすぐに外に出れるようになっている。すると屈強なスキンヘッドのボディーガードが先導してメンバーが出て来たので、ガードが固くて話せないかとあきらめていた。しかし僕の真横をメンバーが次々と通り過ぎ、みんな手を振って応えてくれた。最後に来たれいなも反対側を見ていたが、「れいな!」と叫んだら、手の届く距離で僕を見て「あっああ」と分かったように手を振ってくれた。握手会以外でこんな近くに行けたのは初めてなので、万障を排してバンコクに来た甲斐があったと思った瞬間だった。その後は車で出発するまで大きく手を振って見送ったのだった。帰りの飛行機は検討がつかないので、ここでバンコクでのラベンダーとのお別れになった。その後はまたハロプロの妹ダンサーのカバーダンスを観ながら1日目のジャパンフェスタが終わった。応援のために持って来たれいなのうちわなどは、全てタイのファン達にあげてタイでの応援に託した。思う以上に喜ばれて僕も嬉しい限りだった。
[2014年10月16日掲載]
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