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タイ北部やラオス西部の山岳地で暮らし、狩猟採集生活をおくる400人程度しかいない少数民族「ムラブリ族」。そんな彼らの謎に包まれた姿を撮影したドキュメンタリー映画「森のムラブリ インドシナ最後の狩猟民(Mlabri in the Woods)」が、2022年3月19日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか日本全国で順次公開されます。
ラオスの森の民が
わたしたちに教えてくれること
人食い伝説によって、たがいに憎しみあうムラブリ族に日本の言語学者が対話の力で融和をもたらす映像人類学の可能性を切りひらく、かつてない冒険!
3月19 日(土)よりシアター・イメージフォーラムほか全国順次公開
バナナの葉と竹で寝屋をつくって野営し、平地民から姿を見られずに森のなかを遊動するムラブリ族の生活。タイ人は彼らを「黄色い葉の精霊」と呼んだ。
本作は、6ヶ国語を自由に話し、文字のないムラブリ語の語彙を収集する、言語学者・伊藤雄馬とともに足かけ2年、ムラブリ族を追ったドキュメンタリー。伊藤はラオスで狩猟採集を続けるグループへの接触を試み、カメラは世界で初めて、ムラブリ族の謎めいた生活を撮影することに成功。ムラブリ族は言語学的に3種に分けられることが判明し、お互い伝聞でしか聞いたことのないタイの別のムラブリ族同士が初めて会う機会を創出する。また、今は村に住んでいるタイのムラブリ族の1人に、以前の森の生活を再現してもらうなど、消滅の危機にある貴重な姿をカメラに収めた。
インドシナ半島の密林におけるサステナブルで、政府からも自由なアナーキーな生き方を見つめることで、文明社会で暮らす私たちにも、「真に重要なことは何か」が見えてくる。
カナダ北部で暮らすイヌイットの文化・習俗を記録した1922年の映画史上初のドキュメンタリー映画『極北のナヌーク』から100年、日本発の映像人類学のドキュメンタリーとして、シアター・イメージフォーラムにて3月19日(土)より公開されるのを前に、お互い伝聞でしか聞いたことのないタイの別のムラブリ族同士が初めて会う機会を創出した本作出演の言語学者・伊藤雄馬のオフィシャルインタビューが届いた。
【出演・現地コーディネーター・字幕翻訳】伊藤雄馬(Yuma Ito)
1986年生まれ。島根県出身。言語学者。京都大学大学院文学研究科研究指導認定退学後、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所にて日本学術振興会特別研究員(PD)。2018年より、富山国際大学専任講師。学部生時代から、タイ・ラオスを中心に現地に入り込み、言語文化を調査研究している。ムラブリ語が母語の次に得意である。論文に「ムラブリ語の文法スケッチ」(『地球研言語記述論集』)、"A Note on Terminology for Bamboo and its Use in the Mlabri, a Hunter-gatherer Group in Thailand"(『富山国際大学紀要 現代社会学部』)など。
Q.本作に関わるようになった経緯をお教えください。
2017年に金子監督とタイ北部のナーン県のフワイヤク村の調査地でお会いしました。僕は調査で2週間位滞在していました。金子監督はムラブリの噂を聞いて来られ、「日本人がいるとは思わなかった」と驚いていました。僕も日本人が来るとは思っていなかったので、「どうしたんですか?」と聞いたら映像を撮っている方とのことで、僕は自己紹介がてら「ムラブリの方言を比べる研究をしています。お互い嫌い合っていて、避けているんですが、引き合わせてみようと思っていて」という話をしたら、「それ、映画になりそうですね」という話になりました。
Q.ムラブリ語の魅力はどこにありますか?
僕が一番好きなのは音・響きです。映画でも何回か出てきますが、森の中でも遠くまで響く裏声の歌声のような音が好きです。
Q.ムラブリ族は言語学的に3種に分けられるため、伊藤さんは3つの方言を研究しているとのことですが、「言語学者」とはいえ、ノマド生活を送るラオスのムラブリ族の文字のない言葉を研究するには、彼らが今密林のどこにいるか突き止めて、実際に話して辞書を作る必要があり、言語学だけでなく人類学的な要素もあるように思います。例えば英語などの他のメジャーな言語の研究との違いはありますか?
まず、文字資料がないことが違います。英語などのメジャーな言語だと文字資料がたくさんあり、それを用いて研究できますが、ムラブリ語は文字を持たないので、自分で資料・データを得なければなりません。フィールド言語学という言い方をするんですけれど、現地に行って、自分でデータを取ってきて分析をするという手法の言語学です。文字がないので、英語の辞書にある発音記号のようなものを使って、会話などを書き起こして分析します。
Q.コロナ前は、年に何回位、1回何日くらいインドシナに行っていたんですか?
年に2回は行っていました。多い時で3-4回。1回大体1ヶ月位森の村に滞在します。
Q.世界で、他にムラブリ語を研究している人はいますか?
僕は大学の学部時代からやっているので10年以上になるんですが、そのくらいの期間、継続的にムラブリ語を研究しているのは僕だけです。たまに単発で研究する研究者はいますし、「一緒に研究しましょう」という人は常にいますが、続ける方はいないですね。
Q.ムラブリの人たちと接する際に心がけていること、金子監督に事前にお願いしていたことはありますか?
ムラブリはタイの中で「経済的に貧乏な人たち」とカテゴライズされています。タイは仏教国で、施し・寄付の文化があります。徳を積むために物を人にあげたりお寺にお参りに行ったりするんです。ムラブリに何かをあげることも徳を積む行為になっていて、毎日毎日外部の人が来て、服をあげたり、お菓子をあげたりするんです。その寄付は確かに助けになっているんですけれど、「お前たちは貧乏だ」「お前たちは施しがないと生きられない」というメタメッセージを含むことも避けられず、ある意味では侮辱なんです。外部の人たちは、施しにやってくる人たちばかりなので、僕も最初は「お前もそういう人だろう」という眼差しをムラブリから受けていました。何年も通って一緒に住んだりご飯を食べたり、ムラブリの言語や文化を学んだりすることで、「こいつは違う」ということを伝えてきたつもりです。「ありがとう、これお金」じゃなくて、「一緒にご飯食べよう。一緒にお酒を飲もう」というやり方で友達として付き合うということを続けていました。金子
監督に直接言ったかは覚えていないですけれど、そういう僕の態度を金子監督はわかってくれていたと思います。
Q.本作で、金子遊監督のカメラがラオス側のムラブリ族の撮影に世界初成功したとのことですが、カメラに収めるのはどれ位貴重なことだったのでしょうか?
とても貴重です。ムラブリには“黄色い葉の精霊”という別名があり、その名前での知名度は高く、首都であるバンコクの人々でも知っているほど、伝説的な存在です。彼らは外部の人との接触を避けてきた時代が長く、他の人たちが近づくと逃げてしまい、残っているのがバナナの葉っぱを使った風除けだけでした。誰かがいた形跡があるけれど、誰も会ったことがない、だから“精霊”という名がつきました。“精霊”と言いましたが、現地語のニュアンスは“おばけ”に近いもので、蔑称です。現在では“精霊”とは呼びません。タイ側で定住した後のムラブリは様々なメディアで取り上げられていますが、“精霊”
と呼ばれる理由となったムラブリの森での生活はまだ誰も撮影していません。ですから、今回ラオスの映像はとても貴重です。
Q.今は村に住んでいるタイのムラブリ族の1人に、以前の森の生活を再現してもらうというシーンがあります。もうご両親も亡くなっていて、森での裸での生活をしていないムラブリ族の当時の生活を知る上で、以前の生活を再現してもらってカメラに収めるというのは重要なことですよね?
再現といいますが、ムラブリは今も定期的に森に狩猟採集に出かけています。一週間くらいなら森で過ごすのは平気です。タイでもラオスでもムラブリは観光資源になっていますが、訪れるのは定住している村なので、観光客は「普通の暮らしをしているじゃん」とちょっとがっかりします。だから、観光業者が「ちょっと昔の生活を見せてやってくれよ」とお願いして、映像にあるような再現をすることもあるため、慣れているんです。彼らからしたら、散歩みたいなものでしょう。ただ、あの再現を堂々とできるのは森で生まれた世代だけです。20代にはもうできない人も出ています。その意味では、再現する行為でも森で生きる知恵を映像に残すというのは貴重だと思います。一方で、ムラブリを観光資源化することにも繋がりかねないので、彼らにとっていいのか悪いのかはわかりません。
Q.本作では、お互い伝聞でしか聞いたことのないタイの別のムラブリ族同士が初めて会う機会を創出しますが、伊藤さんはそれぞれと話していて、それぞれが伝聞を信じて別のグループを「人食いだ」と怖れていることに以前から違和感を感じていたのでしょうか?刺青をしている人は見たことがありますか?
「刺青をしているムラブリは悪いムラブリだ」という話をするそのおじいさん本人が刺青をしていたこともありました。(笑)そういうのを見て、「矛盾しているな」とは思っていたんですが、別のグループの話が「良いムラブリ、悪いムラブリ」の判断基準になっていて、言わば「規範」として現在も機能して、コミュニティを形成しているようにも見えます。僕の感じる矛盾や違和感を指摘することはせず、それが彼らのリアリティだと受け入れた上で、違うグループと会うことをどういう風に提案するかを考えました。
Q.本作の見どころはどこだと思いますか?
ラオス側のムラブリを映像におさめたのは初めてなので、これは見ていただきたいと思います。もう一つ、お互い人食いだと嫌い合って会っていなかった別々のグループにこの映画の最後の方で僕が呼びかけて会ってもらうんです。そのシーンも貴重で面白いシーンだと思います。映像ではカットされていましたが、僕は現場でニヤニヤしながら見ていました。「怖がらなくていいんだよ」と言いながら、お互いの言葉を、「それ、俺らと一緒だ」だとか「それはちょっと違うね」とやりとりしているのを見て、「こういう風に彼らはくっついたり離れたりをしているんだな」と思い至りました。「ムラブリの中でよく起きていたことなんだろうな、これからも起きていったらいいな」と思いました。喧嘩したり仲直りしたりというのは僕らにも日常的にあることですが、このシーンはムラブリの「出会いと別れ」の特徴が出ているシーンだと思います。
【あらすじ】
タイ北部ナーン県のフワイヤク村は、400 人のムラブリ族が暮らす最大のコミュニティ。
男たちはモン族の畑に日雇い労働にでて、女たちは子育てや編み細工の内職をする。無文字社会に生きるムラブリ族には、森のなかで出くわす妖怪や幽霊などのフォークロアも豊富だ。
しかし、言語学者の伊藤雄馬が話を聞いて歩くと、ムラブリ族はラオスに住む別のグループを「人食いだ」と怖れている様子。
伊藤とカメラは国境を超えて、ラオスの密林で昔ながらのノマド生活を送るムラブリを探す。ある村で、ムラブリ族が山奥の野営地から下りてきて、村人と物々交換している現場に出くわす。それは少女ナンノイと少年ルンだった。地元民の助けを得て、密林の奥へとわけ入る。はたして今も狩猟採集を続けるムラブリ族に会えるのか? 21 世紀の森の民が抱え
る問題とはいったい何なのか?
2019 年/85 分/ムラブリ語、タイ語、北タイ語、ラオス語、日本語/カラー/デジタル
[監督]
金子遊
[出演]
伊藤雄馬 パー ロン カムノイ リー ルン ナンノイ ミー ブン ドーイプライワン村の人びと フアイヤク村の人びと
[撮影・編集]
金子遊
[現地コーディネーター・字幕翻訳]
伊藤雄馬
[パブリシスト]
登山里紗
[デザイン]
三好遙
[製作]
幻視社
[配給]
オムロ 幻視社
[協力]
多摩美術大学芸術人類学研究所、京都大学東南アジア地域研究研究所
[ウェブ]
https://muraburi.tumblr.com/
https://twitter.com/muraburi
https://www.facebook.com/muraburi
©幻視社
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