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昔パタヤユナイテッド※というチームが有りましてね。2012年シーズンに日本人選手が所属していて、観戦日記を書いていた関係で試合を観に行ったんですね。 ※現 サムットプラカーンシティーFC
試合終盤にアウェイチームにPKが与えられ、そのPKを決められ…グランドを転々としていたボールを喜んでいたアウェイチームの選手が“再度ゴールへ蹴り込む” !!これは良く見られるゴール後の光景なんだけど、そのゴール裏にパタヤユナイテッドのサポーターが陣取っていて、挑発行為と捉えられ鬼激怒!!サポーターがグランドに雪崩込んで来ちゃって収集が付かなくなり、警官がスタンガン持って蹴散らしたという⤵それでも収まらず、試合後に控室を取り囲み、最終的に蹴り込んだ選手に謝罪をさせておりました…。
引退してからもぅ8年も経っている。久々にタイリーグのサイトを見て驚いた。対戦したり知っているチームが半分も無い。違反してチームが消滅したりという事例が多いのがタイサッカー界。あとはチームエンブレムをコロコロ変えるのも主流ですね。
ある日ひょんなことから2011年にリーグ戦にて対戦した戦友の木野村君から連絡が来た。「現在サムットプラカーンシティーFCで働いていて、GMとなる日本人スタッフのお部屋探しをして欲しい」という…これがサムットプラカーンシティーFCとの繋がりとなり、村上GMとは同い年だったりとかで、連絡を取り合い一緒に飲むことになった。
「知ってました?今サムットプラカーンが大変なことになってまして…」新スタッフのお部屋探しの打ち合わせをしていた際に村上GMから「別件ですが…」とボソッと零れた言葉。「監督はじめチームスタッフが試合後の会見で“今日で私たちはチームを去ります”と突然発表した」とのこと。チームオーナー(タイではプレジデントという呼び方をします)とGMは全く知らされておらず…次の日のサッカー新聞で「GMに邪魔をされた」と大々的にインタビューが掲載されたという。
プレジデントと監督がタイ人にて、GMを追い出す企みというのは結構行われるタイサッカー界なのですが、今回のケースはプレジデントとGMが全く知らされていなかったという…まぁ、カップ戦でいざこざが有り、結果が出せなかった監督が首を切られると予想して先に動いた様に見受けられんだけどね。自分のキャリアが解雇より辞任の方が傷が付かないという事で。
新スタッフの方に「タイ語も英語も話せない中でどうやってプレーしていたんですか?」と質問を受けた。「簡単な指示はタイ語と英語の単語を使ってやっていたけど、最終的には日本語でガッと云えば伝わるから…」と答えると「そういえば“いとたく”さん、試合中ず~っと日本語がガ~ガ~ッ云ってましたよね」と木野村君。こらこら、8年前の恥かしい過去を…⤵
やっぱりタイでサッカーに関わっている人たちはパワーを感じますね。楽しいサッカー談義の中でも凄く刺激的で、あっという間にタワービールが無くなってました(飲過ぎ!?)。また行きましょうね。
日本人居住区トンロー10に有ったサッカーの聖地“Arena10”が閉鎖されたと共に、定期的に行われていた日本人の為の大会も軒並み消滅した。そこで産声を上げ、今やその日本人プレーヤーが目指すべき大会へ変貌を遂げたGMFC ASIANスーパーカップ2019が、TC Rama 9にて行われた(実際150名を超える選手が参加)。
私“いとたく”、バンコク不動産会社“ディアライフ”の営業マン、土日が掻き入れ時という事で…営業と所用を済ませグランドへ駆け着けた時点で、予選終了&下位トーナメント1回戦0-1で試合中という状況。急いで着替えて出たけど…結局チームは最下位決定戦で辛勝してブービー賞に沈む(苦笑)。写真は途中から着たくせに偉そうに指示する“いとたく”。
まぁ久々の真剣試合という事で、楽しんでプレー出来ました。“この様な大会をサポートしていく立場になりたいな”…と感じた今日この頃、後輩と試合後の惨敗会にてラーメンを食べビールを飲みながら、熱い想いに耽るのでありました。
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