2015年4月4日掲載
Bangkokのサッカー事情は特殊であり7人制サッカー(ソサイチ)やフットサルのコートでの指導が主となる。狭いコートゆえクロスに対するニアとファーの入り方等を高学年や中学生にしっかりと教えられないのがもどかしい。当然週末の試合は7人制やフットサルの試合が多く、当然オフサイドルールは適用されていない。
まだ指導者になり始めた頃、新中学生であった彼らの11人制サッカーの大会の引率をした。全く11人制のピッチで指導をしていなかった現状、押し込まれるのを想定して”しっかり守って、カウンター”を狙わせる戦い方を選択した。試合が始まると…クリアしてもラインを押し上げないDF陣にベンチから何度「ラインを上げろっ!!」と叫んだことか。
「怖がらずにラインを上げろよ。FWからDFまでコンパクトにしておかないと中盤でボールが拾えないぞ。攻め残りしている選手はオフサイドになるんだから…」と試合を終えた選手達にアドバイスをし終えた頃、そっと俺に近づいてきた彼は「伊藤コーチ…オフサイドって何ですか!?」と衝撃的な言葉をぶつけて来た。彼はタイでサッカーを始めたようで…「なるほど、(この環境では)知らなくて当然だよな」なんて感じたのを憶えている。
彼の武器は”絶対に裏のスペースを与えない”という爆発的なスピードとインサイドキック。とにかくハードにタイトにマークを付ける。相手のエースにシュートを打たせない仕事を坦々と熟す。彼の存在はチームにとって本当に大きかった。そしてインサイドキック…彼はこの一種類のキックしか持たない。要は不器用なんだけど、なかなかどうして…強烈な楔のパスを出せるしミドルシュートも枠に飛ばしてくる。俺は中学3年時に出会ったサッカー部の恩師にインステップキックやインフロントキックを徹底して直された思い出があるんだけど…彼に関してはキチンと直してあげられなかったなぁというのが本音である。
彼が本帰国した後、彼のお父さんとサッカー場で顔を合わせる機会があった。お父さんの手には彼が練習で使用していたボールが…「あれ!? Hikaru、サッカー辞めちゃったのかな」と思ったんだけど…お父さんから嬉しい言葉が聞けた。「Hikaru、早速サッカー部に入部したんですよ」
伊藤コーチも実は30歳過ぎまで身体能力頼みのプレーをしていた。Hikaruとは似たタイプのディフェンダーだったと思う。俺はHikaruのこのスタイルを貫いて毎試合思い切ってプレーをし続けて欲しいと思う。Hikaruの”熱さ、激しさ”は、必ず必要とされるから…でもやっぱりキックの種類は増やした方が良いかなぁ。
伊藤琢矢(いとたく)
アマチュアに拘りプレーを続けた20代。33歳でのプロ契約を期にJリーガーを目指す事に。大宮・岡山・北九州とJリーグ昇格に携わり、自身は36歳でJのピッチに立った。2011年よりタイに活躍の場を移した「夢追人」。
いとたくブログ『夢追人』
Regista in Thailand