ロックシンガー、ミョーミョーさんは1973年生まれ。若干13、14歳の頃からバンド活動を始め、デビューアルバムを18歳で発表。以来、ミャンマーの音楽界の第一線で精力的に活動を続けています。
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梅:いつ頃、ロックシンガーになろうと思ったのですか?
「子供の時の夢の一番目はレーサーになることでした。でも、この国では不可能。二番目の夢がロックシンガーでした。母が歌手(国民的歌手のヌウェ・イン・ウインさん)だったため、素晴らしいベース・プレイヤーの先生に教わることが出来ました。私がボーカルとベース、友人がギター、弟がドラムを担当しバンドを組みました。ファン・フェスティバル(夜祭り)やセイリング・クラブなどライブが出来るならどこでも行きました。染めた髪を長く伸ばし、スパイクの付いたジャケットを着てましたが、周囲はエイリアンのように私を見ていましたね(笑)。当時はすべて英語で歌詞を書き、歌っていました」
梅:英語がご堪能ですが、どこで勉強されたんですか?
「子供の頃から両親とも英語で話していたんです。私たちの家族はクリスチャンで、両親はクリスチャン・スクールに通っていて、英語で授業を受けていたんです。1962年以降は、クリスチャン・スクールでもミャンマー語での授業になりましたが」
梅:作られる曲のテーマはどんなものが多いんですか?
「基本的に satire(風刺)を込めた曲ですね。政府から芸能界、日常のことまで何でも皮肉ってきました。聴く人たちに現状に満足するな、というメッセージを伝えたかったんです」
梅:そういった内容の曲だと、当局と揉めたのではないですか?
「私だけでなくすべてのミュージシャン、出版社やテレビなど誰もが、検閲局とは長く疲れる付き合いをしなければなりませんでした。一枚のアルバムを出すまで、いろんなステップを踏まなければならなかったのです。ただ風刺の歌詞に関しては、当局の人間たちが裏の意味を理解出来なかったらしくOKでした(笑)。しかし、この8月に検閲は一切なくなりました。これからは楽です」
梅:検閲の問題をクリアしたことで、今、新しいアルバム作りに熱中されていられるそうですね?
「はい、『Myo Myo Rocks』という名前です。私の愛するザ・ラモーンズへ捧げるトリビュート盤になっています。彼らに習って、すべての曲は2分50秒以内、ラブソングやバラードはなしの“ロック”な内容になっています」
梅:お忙しい中、ありがとうございました!
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政府の厳しい弾圧の中、音楽を通じて戦い続けてきたミョーミョーさん。ロッカーとして王道を行っている気がします。
(2012年9月25日掲載)
この記事は「ミャンマー旅行ホテル情報~ありがとう、ミャンマー!ブログ」より転載しております。
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梅本昌男
1963年生まれ。1993年にワーキング・ホリデイ制度を利用してカナダへ。現地の邦字新聞の記者、ベルリッツの日本語教師を 経て、フリー・ライターへ。カナダでの8年の後、2001年より
タイのバンコクへ移動し東南アジア各地を回る。2006年秋より1年ほどエジプトのカイロを拠点にアラブ諸国をぶらり。現在、再びバンコクに滞在中。
記事を掲載して頂いた雑誌…「SKYWARD、AGORA(JAL機内 誌)」「MAGAZINE協賛の子供向け雑誌)」「ジュニア・アエラ」「VIA(エアポ ートリムジン車内誌)」「ポパイ」「ロングステイ(ロングステイ財団会誌)」「日経KIDS+」「日経トレンディ」「日経WOMAN」「等々。
共著の単行本…「アジアのツボ:東南アジア編(スリーエーネットワーク)」「極楽タイの暮らし方(山と渓谷社)」
記事を掲載して頂いた単行本…「地球の歩き方;エジプト2008-2009」「旅の大ピンチ(山海堂)」「地球の暮らし方:カナダ編」「地球の暮らし方:ロングステイ」「JTB海外ロングステイ30都市徹底ガイド」
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